Kristallklar glanz


第一部 gaining through losing 


1-1

 南に面した海から初夏の風が吹き付ける頃、白い町並みはきつい日差しに灼かれ、海の青とのコントラストが映える。
 漁業や交易が盛んな他、旅人も多く訪れる町は、年中にぎわいを絶やさない。その一年の中でも、特定の時期に開催されるイベントで名を広く知らしめている此の地は、本来の地名でなく、別の名で呼ばれる事が多かった。
 白南風(しらはえ)の町。
 町が最も美しく、そして栄える季節を讃え、長き一年を待ち焦がれる人々の羨望が込められて、こう呼ばれている。
 人の出入りが激しくなるこの時期は、町へ入る人間をチェックするための通行所があちこちに設けられていた。入る人間を制限するためではなく、何か問題が起こった時に厳しく罰を処するためのものである。名前だけでなく、髪の色、目の色、身長、容姿等、外観的特徴が書類に記載される。名前は偽名を使われる事もあるし、姿の色を変える事は何ら難しくはないが、心理的抑制も兼ねていた。担当者には、記憶力が優れ、魔力の高い者が選任されている。容姿を偽れるような人物を事前にマークするためであった。
 昼下がりになると、暑い時間帯を避ける者が多いためか通行所に並ぶ人の列は途絶えてしまう。
 閑古鳥の鳴く通行所の傍らに立てられた木札を、馬を連れた少年が見上げていた。日よけのためかフード付きの外套を着ている上からは、華奢さしか窺えない。馬につけた棍と、少年が腰に提げた剣が自己防衛のものだと納得するには、頼りなさが強かった。容赦ない陽光にさらされている事に、不安を覚える者もいるだろう。
「おい、そこの、入るのか入らないのか」
 いい加減痺れを切らした通行所の担当者が、窓口から身を乗り出して声をかけた。
「入るよ」
 少年は間を置かず応える。馬を引いて、町を囲む壁をくりぬくようにして作られた門の影にある通行所に歩を寄せた。
「お前、字が読めるのか」
 この時期町にやってくる人間の識字率は低く、告知をした立て札は飾りにしかなっていないと言う事が、現地人の共通認識である。
「それなりに」
 日差しから逃れた事で暑さを改めて感じたのか、少年はふう、と息を吐く。
「聞いて良い?」
 フードを目深く被ったままだが、少年の声に幼さが濃い事に担当の男は気づいた。それでも、思わずはっとさせられるような澄んだ声をしていて、聞き入らせる強い力を感じる。
「なんだ?」
「闘技大会の申し込み、まだ間に合うんだよね?」
「なんだ!? お前出るつもりなのか?」
 男は驚いた。立て札を随分熱心に見ているとは思ったが、よもや言い出すとは思わなかった発言に反問する。
「だって、一回勝つだけでもお金もらえるんでしょ。ちょうど懐が寂しかったから」
 一緒に日向にいた馬の首を撫でて労りながら、細い肩を竦めた。この少年の前、一番最後に入っていった巨漢男の半分もないのではないかという肩幅である。
「一回、ねえ。あれにゃ書いてないが、予選を抜けないと、金の出る決勝には出られないぞ」
 木札の方を顎でしゃくり、呆れ混じりに忠告すると、少年は「え」という風に身を少し退いた。
「何でそんな重要な事、書いてないの?」
 今度は少年が呆れている。
 この件に関しては、男も同感だった。立て札には、闘技大会が開催される事と、一勝する毎に金が払われ、優勝すればさらに高額な賞金が手に入る事しか書いてない。出場意欲を煽る必要最小限な事しか書いてないのだから、不親切な事この上なかった。
「まともに読めるヤツがいないからだよ。手抜きさ」
 今までで、少年のような反応をしてきたのは、男自身は初めてだった。他の担当者ではあるかも知れないが、荒っぽい大会に出ようとする人間の中で、文字が読めた上で細かい事を気にする人間が居なかっただけだろう。
「ふうん。予選って何回くらいあるの?」
「三回勝てばいい。中央にある申請書で申し込んだら、適当に振り分けられて日取りを決められる。事前の顔合わせなんざあるはずない。対戦相手は行くまでわからないって寸法さ」
出場を諦める気がなさそうな相手に、敢えて脅すように言うと、少年は一時沈黙する。フードの中で何を思いめぐらせているのかはわからないが、断念であれ、と他人事ながら男は思った。
「ハハ、やめとけやめとけ。お前みたいな子供が出るのはアブねえよ」
 あしらうように軽く笑うと、少年がむっとするのを感じた。顔は見えないが、空気で感じられる。
「子供じゃないんだけどね。まあ、いいや。取りあえず中に入れてもらえる? 申し込むのはどうせ後だし」
 諦めてないらしい。
「大人の忠告は素直に聞けよ、お前」
 やれやれと首を振り、書類を卓の上に置く。表には細かく記載箇所がわけられていた。
「まず、名前は」
「レン」
 名乗ってからフードを外した少年は、艶やかな黒髪と、日焼けとは縁遠そうな白い膚を綺麗に象った美貌の持ち主だった。声と同質の澄んだ色と惹き付けて意識を離さない紺碧の眸が、あまりに印象強い。加えて、十代半ばと見るのがせいぜいな幼さが確かにあった。
「ホ、ホントに子供じゃないか! お前幾つだ」
 思わず椅子を蹴飛ばす勢いで驚くと、少年、レンは困ったように眉を寄せる。
「見た目ですぐに年を判断しようとするのは大人の良くない癖だよ、お兄さん。それとも、町に入るのに年齢が関係あるの?」
 年少者に窘められ、唸りながら男は椅子に腰を戻すと、書類に必要事項を書く作業に戻った。
「黒髪かあ、お前北の方から来たのか?」
 名前、髪の色、目の色、推定年齢、と順にペンで綴りながら、手元を覗き込んでくるレンに男は訊ねる。
「今度は身元調査?」
 カウンターに両腕を乗せて首を傾げる仕草は、子供と言われても文句の言えないあどけなさがあった。
「一人で旅してんのか」
「そうだよ。気ままでいいね」
 笑みを浮かべると、ますますこれから出ようとする場には不似合いな容姿に男は危惧を覚える。見た目は確かに普通ではないが、闘技大会出場に安心感を得る事は不可能に近かった。ただ、冷静に探ってみれば、少年の内包する力が並みならぬものだと感じる事も確かである。担当者に雇われるだけの魔力の高さに自惚れた時もあったが、レンを前にして自信が揺らぎそうになった。
「いっぱしの事言うじゃねえか」
 乾いた笑いを漏らしながら書類を仕上げると、男は記載者のサインをし、下に重ねてあった紙をレンに渡す。男が記した記載事項の一部が複写されたものだった。
「これはお前の控えだ。出る時に返して行けよ。後、宿に泊まる時出せば、宿帳も書かなくて済む」
「ありがとう」
 受け取った紙を丁寧に三つ折りにし、馬に載せた荷物の中に入れている少年の背を眺めながら、男はやり切れないような顔になった。
「お前、本当に出る気か」
 確認を向けられたレンは、苦笑混じりに男を顧みる。
「お兄さんもしつこいね。そんなに僕は頼りなさそうに見える?」
 体を向け直し、じっと顔に当てて来た少年の視線に、男は冷感に背を撫でられた。侮りを覆すように、静かながらも双眸は冴え冴えと深みを増している。男は知らず、息を呑んだ。
「心配してくれてるのは嬉しいけど、本当に僕は子供じゃないから」
「だろうな。悪い」
 今の目は、気まぐれで一人旅をするような子供のものではない。携えた剣が飾りでない事を証明するだけの経験を重ねた者が持ち得る、強かなものだ。
「頑張れよ。応援してるぜ」
 無言でこのまま見送るのが惜しくて、口をつく。
「ありがとう」
 応える白皙に浮かべられたのは、さっきの空気が嘘のように柔らかな笑みだった。


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