<UP DATE:20030222>

黎明を招く君よ


 
 グレッグミンスター攻略を目前にし、解放軍は帝都を望む丘に陣営を整えていた。
 『帝国』の中で今や唯一の帝国領となったグレッグミンスターは、夜近く青ざめた空気の中にひっそりと沈んでいる。
 乏しい街明かりを一瞥し、踵を返したレンは兵舎の一つへと足を向けた。途中出会う兵士たちは少年の姿を認めるや、大袈裟なほどに敬礼を施し挨拶を向けてくる。それに笑みを浮かべて応えながら、胸のそこで蟠るものを無視できない。
 その原因は、今向かっている場所にあった。
「これは、レン様!」
 目的の兵舎の入り口を警護している兵士が二人、顔だけでなく背筋まで緊張で強ばらせた。
「警護、お疲れ様です。……構いませんか?」
「どうぞ! リュウカン先生も中におられます」
「ありがとう」
 入り口に下がった布を分け、兵舎の中に入る。鼻腔を浅くつくのは、薬草の匂い。内部は簡素な作りになっており、簡易寝台が端に一つと奥に卓が一つ。この兵舎の主である男は、卓に開いた書類を眺めており、その横の椅子には老人が一人座っていた。
「これは、レン殿。いかがされましたか」
 書類に落とされていた視線がレンへと向けられるのにわずかな間があった。
 自分の中で決めた区切りに辿り着くまでは、意識に触れるものがあっても集中を崩さない男の人となりは少年も承知いていて、気にはしていない。
「……これ、目を通したから持ってきたんだけど」
 片手に提げていた書類の束を差し出す。それが受け取られる相手の手の動きを目で辿りながら、明日の陣容について自分が持ってきた考えを伝えた。男は、最後までじっと耳を傾けている。
「なるほど、確かにレン殿の言われる配備の方が守りを強める事が出来ます。では、そのように」
 レンの口述に感じ入ったように重く頷くと、少年の持ってきた書類を開き、筆を走らせて行く。
「マッシュ、寝ていなくても……」
「今はこの大事な時です。寝てなどいられません」
 自愛を促す言葉を中途で断ち切られ、レンは横の老人−−リュウカンに目を向ける。
「何度言っても聞かない人でしてな」
 長い白髪眉毛の下に隠れた目が、嘆息と共に閉じられた。
「先生の薬が良く効いて、今の私は何ともないですよ」
 笑みを浮かべてみせる細面は、言葉と裏腹に血の気がない。
「では、わしは少し失礼しようか」
 矍鑠とした足取りでリュウカンが出て行くと、当然ながら、兵舎の中は二人だけが残される。卓上の蝋の火が揺れ、淡い影を幕に揺らす。拭えない不安を煽られるようで、レンは息をわずかに詰めた。
「マッシュ……」
 少年が続けかけた言葉を遮るように、マッシュは辟易すら混ぜた息を吐く。
「先ほども申しましたでしょう。私はもう、何とも……」
「僕の目は節穴じゃないよ」
 レンは、きつく右手を握りしめた。
 錯覚でなく感じるもの。この右手に宿ったものが嗅ぎつけ、歓喜するように淡い熱を帯びる。
 −−……僕はもう、誰かを失うのは厭だ。己が傷つく事を恐れているだけだと嘲ってくれたって良い……だから……。
 繰り返し、喉の奥で消えていく。
「レン殿、私の身を案じてくださる事に関しては感謝いたします。ですが、私も戦場に身を置くからには覚悟はしております。この中途で退き、もし命長らえたとしましょう。しかし、それでは、私は一生自分を許すことができません」
 意志を強く通した言葉を紡ぎ、眼差しはけして揺るがない深さを湛えていた。
「マッシュ……」
 他の道筋を全て己の手で塞いでもなお笑みを浮かべる男に、レンは継ぐべき言葉を失った。
 死を覚悟した強さ? 自分という存在への自尊心を喪失する事を避けるため?
 命と、秤にかけられるものなのだろうか。
 それは、本当に“強さ”と呼べるものなのだろうか。
「最後まで見届けたいのですよ」
 恬らかな声音は、生への諦めなぞわずかと含まず、エゴを滲ませたものではなかった。
「……どうして、そんなに頑固なんだろう」
「主であるあなたに似たのでしょう」
 笑みまじりのいらえに、レンはかぶりを振った。
「……僕は、マッシュの目に適う軍主になれたかな」
 出会って三年。決して短くはない間(とき)に作り上げてきた戦歴は一点の曇りをも知らないものだった。軍主と軍師の相性があるのなら、これ以上なく最高だろうと、周囲の者は評する。
 どちらかが突出し過ぎてもならず、互いに補いを要するものが多すぎてもならない。
「ええ、それは間違いなく。素質もあったでしょうけれど、他の軍に籍を置いた事がある私から言っても、あなたほど優れた統率者はいませんでした。一を語るだけで十を知り、先を見通して応じる才は、この天の下に二つと無いものでしょう」
 つらつらと淀みなく並べる男に、レンは唇の形は笑みでありながら苦いものをかすめさせた。
「どうしたの? 褒めすぎじゃない?」
「私は事実を言ったまでですよ。
 そんなあなたの下で働けた事を、私は誇りに思います。そして、あなたの側で新たな黎明の訪れを見たいのです」
 強い言葉尻がこもる熱に、少年は双眸を眇めた。
 何であろうと揺るがない心。それは、軍主の諌めがあっても同じなのだと感じる。
「何を言っても無駄なんだね」
 この科白にだけは否定が欲しくて、心のどこかで望んだ。
 しかし、目の前の男はあっさりと頷く。
「ええ。このような事に労するより、体を休め明日に備えて下さい」
「マッシュもね」
 言いつけるように語尾に力を込めると、男はかすかに笑んだ。
「わかってます。軍主と軍師が目の下に隈を作って顔を並べたら兵士たちが不安に思いますから」
 珍しく冗談を口にするマッシュに笑みで応え、やり切れなさを押さえられた。−−そう思いこます事ができた。
「おやすみ」
「おやすみなさい、レン殿」
 呟くような声を背に、レンは外へと出た。
 来た時と同じ、晴れやかにはならない胸の内を抱えたまま兵士に労いの言葉をかける。そうして、自分の兵舎へと行きかけたところで、見慣れた影を視界に入れた。
「ビクトール?」
 先よりも濃い闇に身を潜める帝都を遠く望み、背を向けている人物が呼名に振り返る。
「よお」
 顧みる寸前まで横顔にあった真摯さは、太い笑みに変わった。
「フリックとお酒飲んでたんじゃないの?」
 揶揄を軽く込めて言葉を向けると、男の眉が寄る。
「人を飲んだくれ呼ばわりするなよ。明日は大事な戦いだ。深酒できるわけねえだろうが」
 自分の横に並ぶように立つ少年をじろりと見やり、反論して来た。
「……やっぱり飲んでたんだね」
「前祝いだ」
「理由は後で付けてるんじゃないの?」
 くすくすと笑いを小さく堪え、ふ、と瞼を半ば落とす。
 ささやかすぎる風はぬるく流れ、二人の髪を揺らして行く。淡く滲むような街明かりが、一つ、二つと星のように闇の中に浮かんでいた。
 あの場所で過ごしていた時間が夢のように遠くありながら、鮮やかに今に浮かぶ。
 右手に宿るものが、レンの内心に呼応するようにかすかに灼く。
 −−お前が欲するのは破壊だけなのか? 死を呼び争いを招くだけで……司るはずの命を軽んじる事を、何故強く望む?
「レン?」
 怪訝な声に意識を打たれ、俯きかけた顔を慌てて元に戻した。
「どうかしたのか?」
「何でも、ないよ」
 気遣わしさを眉宇に潜ませて見返す濃い茶の眸から、視点を遠く離す。
「何でもねえってツラじゃねえだろ」
 ぼそりと言う呟きに追われ、レンはきつく瞼を伏せた。
 この男とも、短くない付き合いになっている。雑把な態度とは不釣り合いなほど、他人の内面を酌む巧みさに、自分は幾度救われた事だろう。
「……ビクトールは、この戦いが終わったらどうするの?」
 不意な問いに、一瞬の間が空く。おそらくは、少年の主意を探ろうとした黙考によるものだ。
「そりゃ、俺は傭兵だからな。また何処かへぶらりだろ」
 口ぶりだけは穏やかに、慎重に伺う気配は濃い。
「そう……じゃあ、何処かでまた会えるかな」
「あ?」
 完全にレンの科白の意を捕らえ損ねたような、間が抜けた声が挟まれる。
「僕は、この戦いが終わったらトランを出ようと思うんだ」
 誰にも言わずに来た。
 固まらない想いを確かめるように、此処まで悩んできたけれど。
「はあ? だって、お前……」
 帝国にはもう、解放軍に抗える力は残っていない。帝都は、明日、明後日にも落ちるだろう。皆が望んだ新しい日々の始まり、その中心にいなければならない人物のものとは結びつかない告白に、ビクトールは怪訝な顔になった。
 レンは、手袋に包まれた右手を胸の位置にまで引き上げる。
「これは、禍いを呼ぶ。僕が望まぬとも引き寄せてしまうんだと思う。だから、僕はこの地を離れるよ。……今の僕には、守りたいものを守れるだけの力がないからね」
 口の端に、笑みが薄く浮かぶ。自分でも曚くてわからない想いは舌の奥に凝ってしまっていた。
「僕は、此の地が好きだから」
 これだけは偽り無く、確かなもの。
 だから、此処に危難を呼び込む元にはなりたくない。
「お前……」
 言いかける短い音だけでも、男の躊躇いは優しく響いた。
「そんな顔はやめなよ、ビクトール。僕は別に自己犠牲に酔いたくて決めた訳じゃないんだ。
 それに、この紋章についても知りたいんだよ。誰も知らないなら、自分で探すしかないからね」
 ソウルイーターを深く識り、完全に制御する事が出来れば、何の危惧も無くなるだろう。
「そうか……お前が決めたんなら、しゃーないか」
 深いため息を先に置いて、ビクトールは頭をかいた。どうしようもなく声に滲み出た諦めに、レンは苦笑する。
「止められるかと思った」
「レパントとかなら青筋立てて止めるだろうが、俺は、独り身の自由さが身に染みてるからな。旅に出る事は止めやしねえよ」
 肩を竦める男に、少年は意識する前に「ありがとう」と口に乗せていた。
「なーに礼言ってんだよ。未だその前に大事があるだろ」
 呆れられて、頷く。
「わかってるよ」
 この3年間を偽りのものにしないために。
 自分と共に来てくれた人たちの3年間を無にしないために……。
「勝とうぜ」
 ビクトールがにやりと浮かべた笑みも頼もしく見え、差し出した手に自分の右の掌を軽くぶつける。
「もちろんだよ」
 勝利を手にするために。
 待ち望まれた、新たなる黎明を招くために戦い抜く。

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