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レンが同盟軍に来て三日目の夜、示し合わせたわけでもないのにビクトールとフリックは、酒場のカウンターで席を並べていた。
夜も更け、彼ら以外には背後のテーブルに数人しか客がいない。話し声もまばらで、時折抑えた笑い声が上がる程度の静けさだ。
後でやって来たビクトールが横に座り、どちらからもまともな会話を切り出さないまま時間だけが静かに過ぎる。
「なあ、ビクトール」
酒が半分ほどに減ったグラスを手に、フリックはふと口を開いた。
「あん?」
青年の普段とは違う声の調子を感じ取ったのかどうか、ビクトールは気のない返事をする。此方のグラスには殆ど酒は残っておらず、傍らにある酒瓶の中身も残り少ない。しかし、男の声も目もしっかりとしていて、酔いは感じられなかった。
「レンのやつとティエン、どうしたもんだと思う?」
「何がだ?」
本気で意を介していないわけではない。その証拠に見返す男の目には揶揄すら浮かんでいる。言葉を巧く並べられないフリックのもどかしさを見抜いている顔だ。
男の表情を見て舌打ちをし、フリックは酒を舐めるように一口舌に流す。
「ティエンがレンを避けてる。レンはティエンのその態度を見て戸惑っている……だろう?」
ティエンが時折レンに向ける視線、そして自らは言葉を向けようとはしない態度は、二人の間に微妙な距離を感じさせた。一方のレンはと言えば、その心情を見抜いている素振りを見せながら、何も口にせず、応える様子もない。
当のレンは、今は城内に構えられた部屋で休んでいるはずだ。此処に来て三日になるが、昼間は一人で城外に出かけたり、図書館で本を読んでいたりで、夜になると部屋に戻って出てくる様子はない。自分から人を遠ざけている訳ではないにしろ、シュウが幹部に紹介した事で広がっている噂がそうさせるのだろう。
“トランの英雄”が、三年の月日で色褪せるような英名ではない証明でもあった。
「あいつら似た者同士だからな。ま、言っちゃ、レンがらしくねえかもな」
ビクトールの声は笑みを含むが、それ以上の表情は引き出せない。
「ティエンは、レンがトランの英雄だったって事がショックだったのか?」
バナーでの仲が良さそうな会話を交わしていた二人が幻のようにも感じる、現在(いま)のぎこちなさ。険悪と言うわけではないのだが、触れがたい空気がそこにはあった。
「ま、見た目が自分と変わらないトシだからな。しかも最初に会った時は、記憶がなかったとはいえ、育ちの良さげなお坊ちゃんにしか見えなかった。それが、失った記憶が穴埋めされた途端にあれほど変われば驚くだろうし……」
新たに酒を注いだグラスを掲げ、灯りに透ける琥珀色に目を細める。
「自分と比べるな、と言うのが無理な話だろ」
男が口にしているのは、あくまでも一般的見解だとわかっていた。フリックは、無言でその先を促す。
「頭で分かっていても落ち着かない部分もあるからな。こればっかりはあいつらと時間が解決する話だ。部外者が口出しすれば、逆効果になりかねないぜ」
「まあ、な」
自分のグラスに視線を落としたまま、焦りに似た苛立ちをちらつかせる青年に、ビクトールは苦笑を零した。
「心配性だな、本当に。
……あいつらは他人の気持ちを十二分に汲める人間だ。違うか?」
だから、と男は続ける。
「俺たちは、待つしかない。あいつらを信じればこそ、それしかないだろ」
軽い口調で、ビクトールは嘯いた。
「そうだな……」
共にいた三年間で知り得た少年が、離れていた三年間で幾ばくかの変化を起こしたにしろ、レン・マクドールの本質は変わっていないはずだ。それをビクトールを相手に再確認すると、フリックはグラスを干し、立ち上がった。
「もう寝るのか?」
「ちょっと外を回って、酔い醒ましてから戻ろうと思ってな」
実のところ、飲んだ酒の量は大した事はないが、外の空気に触れて思考を静めようと思ったからである。
「そうか。じゃあな」
ビクトールは未だ飲み続けるらしく、立とうとはしない。
「ああ、じゃあな」
酒場を出ると、ひやりとした空気がむき出しの頬を撫でた。季節柄それほど冷え込む事はないので、酔いで温まった体には心地よい。
青黒い天を見上げると、猫の爪のような月が儚くぶらさがっているだけで、星のちらつきが少ない。目を凝らせば、薄雲がかかっているのが見て取れた。
所々にあるかがり火と見回りの兵士を横目に、図書館の前を通り過ぎ、ふと足を止めた。城を見上げると、幾つか部屋の灯りが点いており、白い明かりが四角く漏れている。さまよった青年の視線がその内の1つに止まった。
開け放った窓の側で夜に沈む景色を眺めている人影。
視線の先にある白皙は、紛れもなくレン・マクドールのものだった。遠目なので表情は読めないが、じっと一点を見据えているだけで動かない。
何か一人で思いを巡らせる時、レンはいつもそうだった。
側に誰も居ない時、何処(いずこ)かへと視線を流している少年を何度か見かけ、その横顔から見出した翳りに、声をかけられずに足音を沈めて立ち去るしかできずにいた。
細い肩に数多の命を責として負い、心を削るような悲しみが降りかかっても、その双眸から己を慕う者達への慈愛を消す事なく、人の光りであり続けた少年。
三年経った今も、同じ姿、同じ目でもって時の流れというものを感じさせない。それが紋章のせいだと言うよりも、孤独であっただろう旅の苦難もレンを変える事が出来なかったのだと、フリックは思った。
それは、同情も哀れみも無く、何処かで願っていたのかもしれない。
「!」
不意に、レンが庭に佇む青年へと視点を動かした。これほどの距離を置いては、気配などは察する事が出来ないはずだ。迷い無く見下ろされている事に動揺する心中も知らずか、少年はフリックに手を振って来た。明かりを背にしているが、笑みを作った事が分かる。
−−あいつらは他人の気持ちを十二分に汲める人間だ。違うか?
「だが、自分の事となると、どうしようもなく不器用じゃないか」
ため息が混じる声を足下に落とすと、手を振り返す。やがてレンが窓から離れるのを見て、青年は城の中へと戻った。
レンは、ドアをノックする音に目を開けた。
熟睡していたわけではなく夜明け前から浅い眠りが続いていたので、足音が部屋の前で止まった時点で、意識は既に覚めている。
夜の気配をなぎ払うように、カーテン越しに暁のきつい光りが射し込んでいた。眩しさに目を細め、体を起こす。
「レン、起きてるか?」
早朝だけに潜めた声だが、ビクトールだと認識するには十分だった。
上着を身につけ、寝癖のない髪を手櫛で梳いてからドアを開ける。見慣れた顔が、眠気を全く含まない笑みを浮かべた。
「……どうしたの、こんな朝早く」
怪訝に問う少年に、男は一振りの剣を掲げて見せた。ビクトールの図体には些か細みな感を受ける長剣で、鞘にも柄にも無駄な装飾が全くなく実直な印象が強い。
「これ、頼まれモン。昨日の夜に渡そうかと思ってたんだけどな」
ああ、とレンは受け取った。
再び戦いに出る事になった今、やはりも剣も持っていた方が良いと考えた結果だ。使い慣れているのは確かに棍だが、魔物ならともかく複数の人間相手にする時は、リーチの短い剣の方がいい。
昨日の朝、ビクトールとそう言う会話を交わし、ちょうど外に出る用事があった男が剣を見繕ってくる事を引き受けてくれたのだ。武器に対する目利きでは、十分信頼が置ける故に、レンも迷わずに頼んでいた。
「そうか、酒場で飲み明かして、今になったんだね」
握りがちょうど良く、重さは申し分ない。人によっては刀身のわりに重いと評価しそうだが、あまり軽いと打ち合わせた時に勢いに負ける事もある。
「……」
剣を手に馴染ませながら返された言葉に沈黙したビクトールを見返して、レンはにこりと笑みを浮かべた。
「それか、酒場に置き忘れてたのかな?」
首を傾げて笑みをもって問われた男は、大きく肩を落とし息を吐く。演技がかった仕草に少年が眉を寄せると、それ以上に胡乱な目が向けられた。
「……お前、寝ているところを起こされて怒ってんのか」
「被害妄想だよ、それは」
深まる笑みに、ビクトールは言葉を詰める。
「ありがとう、良い感じだよ。使いやすそうだしね」
御礼の言葉に純粋な謝意が込められている事に、男はホッとしたようだった。
「どうだ、久しぶりに剣合わせしないか?」
ドアの横に剣を立てかけようとした手を止め、レンは軽く瞠った顔で見上げる。
「ビクトールと?」
心外そうな響きを聞き取ってか、ビクトールが呆れたように眉を寄せた。
「他に誰がいるよ」
「いいけど……本当に随分と朝早いじゃない」
早起き加減では、自分の方が勝っていると思っていたので、感心半分訝しさもある。
「今なら鍛錬場に人がいねえだろうからな」
男の返答に、少年ははっとなった。
−−また、気を遣わせてるのかな、僕は。
何気ない、さりげない、ごく自然な気の回し方が優し過ぎる。
「剣の慣らしはした方が良いだろ。合わなきゃ、クスクスまで行かねえと鍛冶屋がねえし……レン?」
自分自身自覚がないような歪(ひず)みにも、敏感に嗅ぎつけてくれた温かさが蘇るようで、レンは笑みが浮ぶのを抑えられなかった。
「……ありがとう」
しんと冷えた朝の空気を、鋭く、時に鈍い金属音が打つ。刃が削れそうな激しいぶつかり合いが、鍛錬場の中に響き渡った。
「さすがに腕は鈍ってないか」
ビクトールの顔に浮かぶ太い笑みは何処か嬉しそうで、合わせた剣を挟んで、レンも笑みを浮かべる。
「僕も隠居してた訳じゃないからね」
力では男に負ける事は承知しているので、すぐさま剣を離し、下から剣先を振り上げて薙ぐ。その動きにビクトールはわずかに身を引いて避け、すぐさま突いて来た少年の剣を刃を立てて受け止めた。軋みを上げて、刃が擦れ合う。
「ビクトールもホドホドにしないと、後で星辰剣に愚痴を言われるよ」
にこやかに言いながらも、剣の鋭さは緩まない。
剣の重さでは男が、剣の早さではレンが上なのだが、技術の質自体が違うので、剣を幾度合わせても飽きなかった。
「お前相手に手を抜けるわけ無いだろ」
「それは、褒め言葉として取っていいんだよね」
相手の柄元に斜めから打ち付け、痺れさせたわずかな間を逃さずに、逆方向から剣を払う。劣る力を補う手を巧く使って攻めてくる少年に、ビクトールは剣を流されないよう力で阻む。
「ちっ」
それでも、つい舌打ちをしてしまう絶妙さだ。
レンが解放軍に加わった時、最初から剣の技術については完成していた。それが数え切れない実戦を経て技の幅が広がり厚みが増して行き、「敵には回したくない」と誰もが口にした。
三年経って、さらに油断を許さない剣さばきに、正直ビクトールは舌を巻く。
「手を抜かないんじゃなかったの?」
少年の揶揄が挑発を帯びた事に、慌てて意識を戻した。
「くそっ」
負けじと男の剣がレンの剣先を打ち、揺らいだところで、もう一度力を強めて刀身の半ばへ打ち付ける。少年の手に、じんと痺れる重さが伝わった。
「!」
息を呑んだのは、二人ほぼ同時。
衝撃に耐えきれなかった少年の剣に亀裂が走り、砕けるように割れる様がひどくゆっくりとして見えた。
レンが咄嗟に顔を腕で庇おうとしたところで、更に剣が砕けるようにして破片を散らす。こめかみから額にかけ赤い線が走り、反射的に伏せた瞼の上に血が流れ落ちた。
「レン!」
ビクトールは側に寄り、顔半分を抑えて俯いた少年の顔を覗き込む。押さえた指の間から、ぽつりぽつりと赤く滴った。
「……」
レンはきつく眉を寄せ、顔を上げない。
「お、おい、大丈夫か?」
「負けず嫌いもほどほどに、だね」
傷が深かったのかと狼狽える男を、片瞳が見上げた。そこには怒気も、非難も無い。
「わ、悪い。まさか剣が折れるとは……。
ホウアン先生ならもう起きてるだろ、診せに行こうぜ」
腕を引いて促したが、少年は頭を振って足を動かそうとしなかった。
「いいよ、このくらい。もう血は止まったし」
ほらと手を外すと、言葉通り血は流れを止め、傷口はほぼ閉じている。あまりに早い治癒力に見入りかけて、ビクトールは我に返った。
「駄目だ。破片が入ってたらどうすんだ。行くぞ」
抵抗を受け付けない強さで腕を引かれ、レンは観念のため息を吐く。
「わかったよ。わかったから引っ張らないで。その前にこれを拾っていかないと……」
足下に散らばった剣の残骸を集めようと屈みかける少年を止め、ビクトールは下がるように手で制した。
「俺がやるから、お前はどいてろ」
レンが大人しく身を退ると、男は破片のない部分に膝を着いて拾い集め始める。細かく砕けたものでも、労せず指で掴める程度なのでそれほど難しい作業ではなかった。
「すまねえ。脆い材質じゃないと思ったんだがな」
悔いと申し訳なさに沈んだ声で呟くビクトールを見下ろし、少年は肩を竦め、小さく笑いを零す。
「相手が星辰剣だからね、仕方ないかも」
「頭並に固いって事か」
レンの思惑はどうあれ、男も軽口で応えた。
「怒らせる事言っちゃ駄目だよ。
さて、と結局、鍛冶屋には行かないといけなくなっちゃったな」
半ばで綺麗に折れた剣を眺め、少年はうーん、と唸る。剣先が砕けているので、単純な溶接で済むとは思えない。買い直すのも手だが、柄のなじみが良いのが手放すのを惜しませる。
「それなら俺も一緒に……」
原因の一因を作った手前言い出した先を、レンが遮った。
「駄目だよ。ビクトールは同盟軍の幹部じゃない。部外者の僕に余り構ったりしない方がいいよ」
見返す静かな目に、男は訝りを深める。
「……お前、本気で言ってるのか?」
子供じみた卑屈さがその科白を口にさせているわけではないと分かるだけに、ビクトールは少年が笑みで隠そうとするものを探るように目を細めた。
「今は誰が見てもそうだと思うけど? 僕は未だ仮採用みたいなものだしね」
血が付いてごわつく前髪を指で拭うように梳きながら、レンは苦笑する。困惑気味な笑みで、男の探りを躱そうとする素振りすら見せようとしない。
こういう表情を取る時、どれだけ言葉を募ろうと少年が本心を見せない事を、ビクトールは経験上知っていた。
「……無理するなよ」
「大丈夫だよ」
応えるのは、静意。人の危惧を拭い、安らがせる力を持つ声音だ。
−−お前の大丈夫は当てにならねえ。
やりきれなさに、出しかけた言葉を飲み込むと、男は最後のかけらへと手を伸ばした。
棍と壊れた剣を持って広間に来たレンは、目的の人物が目的の位置に居ない事に足を止める。ぐるりと見渡し、石版の前で気難しそうな顔で立っている少年に気づいた
「ルック、おはよう」
亜麻色の髪が肩先で揺れ、端正な顔がレンを顧みる。
「……君か」
微かに眉をひそめた上で、ルックは冷ややかな視線を向けてきた。黒髪の少年自身と言うより、違う含みをもっての一瞥に、レンは次を待つように黙している。
「君、同盟軍に参加する事にしたって本当かい」
なまじ顔が整いすぎているので、温かさが抜けた表情は生意気さとかわいげの無さが際立って見える。その態度に、殆どの人間が扱いづらさと苦手意識を抱いてしまうのだが。
「うん……誰に聞いたの?」
その大多数に入らない応えをする少年に、ルックは面白く無さそうに鼻を鳴らす。
「シーナが一昨日勝手にやってきて、勝手に喋って行ったよ」
「ああ、なるほど」
どの部分に同意しているのか曖昧な相槌を打つレンに、ルックは眉をひそやかに寄せた。
「どういうつもり?」
「どうって?」
本気で問いの意を理解してない訳ではない事は、表情から十分分かる。穏やかそうな笑みを浮かべて首を傾げる仕草にあどけなさが垣間見えた。これは、自分の答えを出す前に相手の心を探るための手だと、ルックは内心で舌打ちをする。
「どうして今頃来たの」
「うーん、ルックの質問はシュウさんとは違う意味なんだろうね」
レンは腕を組み思案顔を作ってみせるが、何処まで真剣なのか分からない。そこで、苛立ちを眉間に刻み始めた相手を見返し、肩を竦めた。
「時期の問題じゃないよ。ただ、ティエンイ君に会って、力を貸して上げられればと思ったんだよ」
「嘘ばっかり」
笑みをそのままに答えるレンから顔を逸らし、嫌味なほどに大きなため息を吐いた。
「嘘じゃないよ」
失礼だな、と不満そうに顔をしかめる少年に、ルックは苛立ちを覚える。
−−まったく、何処まで本気で言ってるんだか。
「少なくとも、ティエンがあんたを歓迎してる風には見えないよ。空気がギスギスしてるじゃないのさ」
「……」
ぴしゃりと冷たい指摘を叩きつけられたレンは、此処で初めて不自然な間を空けた。黒眸の奥でわずかに揺らぐものを見て取り、ルックはため息を重ねる。
「赤の他人に対するくらい、器用になったらどう?」
遠慮が無い分、声音は辛辣に研がれていた。
「それ、僕にも言ってるの?」
レンが眉を寄せ、心外そうに問い返す。
「当たり前だろう」
「……ルックに心配されるなんて、どうしたもんだろうね」
一瞬の揺らぎを幻のようにかき消して暢気そうな素振りを見せる少年の顔を、ルックはきつい眼光で刺す。
「その他人事口調止めなよ。馬鹿にしてるのかい」
怒気が声にも明らかに滲んだ事に気づいたからなのか、レンは絶妙な間でにこりと笑顔を作った。
「まさか。心配してくれるのは嬉しいよ」
相手の感情を一時でも無効化する事が出来る、この少年だけが持つ力。憤りも嘆きも全て受け止めてしまう笑みに、かつてどれだけの者が救われたのか。
−−だからって……自分の気持ちはどうするわけ?
「それで、何で君はこんな所うろついてるんだい」
ため息にすら労を感じそうで、飲み込んでしまう。詰問の意味を成さない事に諦めて、話題を切り替える事にした。
「あ、うん、クスクスに行こうと思って……」
「それで転移魔法で行こうと思ったわけ?」
棍だけでなく、持っている袋から覗く剣を見やって、黒髪の少年の目的地は鍛冶屋だと推測できる。
「無精してみようかと。でも、ビッキーいないね」
どうしようかな、と肩を竦めるが、せっぱ詰まった様子はない。元より、この少年が焦ったりするところをルックは見た事がなかった。
「さっきティエンとナナミを飛ばしてから、何処かにふらふら行ったよ。どちらにしろ、しばらく間を置いた方が良いいと思うけどね。連続してやらせたら、妙なところに飛ばされるんじゃないの」
「うーん、それは困る……」
身に覚えがある事なのか、レンは腕を組んで唸ったまま黙り込んでしまう。一方で、その頭の中で如何なる解決策が巡らされているか推し量る無駄な努力を、ルックはする気はなかった。
「仕方ないね、僕がしてあげるよ」
気が進まなそうに口にした途端、レンは驚きに瞠った目を向ける。
「ルックが!?」
大袈裟なきらいのある応えが、見事神経に障ったルックは緑の眸を静かな怒りで彩らせた。周囲の空気が微かに震え、亜麻色の髪が風もないのに揺れる。
「何、その驚き方」
「え、だって、珍しいでしょ。解放軍の頃頼んでもなかなかしてくれなかったのに」
しかし、ルックの情動はレンには全く通じていない。実際は通じているのだが、敢えて気づかないふりをしているのだ。まともに応じれば、収拾が着かない一途を辿ると判断したからであろう。
そうした事は、ルック自身も重々承知していて、更に怒りを焚きつけられる事はなかった。
「人の親切を引っ込めさせたいわけ? 君」
それでも、一言は返さないと立てた腹も納まらない。
「ううん。お願いするよ、ルック。
ありがとう、すごく助かるよ」
素で作られた笑みは、先刻とはまた違う力でもって、ルックから言葉を奪ってしまう。仮にも英雄とまで呼ばれている男が、今でも邪気の無い笑顔を作れる事が信じられなかった。
「今回だけ、特別だからね」
だけ、と言うところに語気を強めて、レンに手を差し出す。重ねられた掌を軽く握ると、紋章を発動させた。
クスクスの鍛冶屋に剣を預けると、レンは早々に店を出た。
「お待たせ、ルック」
「用事は済んだのかい」
入り口脇の壁に背をもたせ、不機嫌そうな顔で立っていた少年が此方を向く。
「うん。さすがに渡してすぐハイ出来ました、とはいかなかったよ」
剣の容赦ない破壊のされ方に鍛冶師は驚きと疑念を露わにしながらも、プロらしく素早く見積もりを計算してくれた。“特別料金”を払う事で、早くても二日。戦争時なので仕事が重なり、それなりに商売根性もたくましいようで、思い返したレンは苦笑してしまった。
「じゃあ、帰るんだね」
己の前の通りに視線を回し、改めて人の多さに辟易するように、ルックは鼻の頭にしわを寄せる。
「ごめん、人が多いところ苦手……」
「埃っぽいんだよ、こういうところは。さっさと帰ってお茶でも飲みたい気分だね」
済まなそうに言いかけるレンの科白を遮ると、怠そうに背を離した。
「そのくらいなら僕がごちそうするよ」
「自分で煎れた方が美味しい気がするね」
ちら、とレンを横目にし、これ見よがしに頬にかかる細い髪を後ろへと流して、ふう、と息を吐く。
「失礼だな、僕もお茶くらい巧く煎れられるよ」
む、と不平を返したところで、通りの奥の方から近づいてきた喧噪に、2人は会話を中断させた。
「何だろう?」
興味というより、単に意識を引かれただけの淡泊な反応だ。
「さあね。関係ない事なんだから、僕たちはさっさと帰るよ」
応じるルックも、レンに負けず劣らず素っ気ない。
肩を押されて促されかけたところで、レンは自分の視界に入った者に「あ」と小さく声を上げる。
町人に囲まれるようにしてやって来るのは、ティエンとナナミ−−そして、周囲から抜きんでた長身を誇る銀髪の青年だった。
レンたちが先に反応するよりも、ナナミが此方に気づき声をかけてくる。
「あれ、レン君にルック君だ!」
大きく手を振ってやってくると、好奇心に満ちた目で二人の顔を交互に見比べた。
「どうしたの、こんなところで会うなんて。何か用事があったの?」
「用事もないのに来るわけ無いだろう。馬鹿な事訊かないで……」
一言多いルックの肩を慌てて押さえ、レンはナナミに笑顔を作った。自分を注視している青年の存在に緊張をはらみながら、動揺は抑えられる。
「剣を直してもらいに来たんだよ。ビッキーが居なかったからルックが……」
「へー、珍しい〜」
ナナミが感心しているのは、もちろんビッキーの不在ではない。一頻りの感心の後、「そうだった!」と手を打ち合わせた。今度は何を言い出すのかと、ルックの顔は既にしかめられている。
「あ、あのね、ハイランドの人がね、休戦を申し込みに来てくれたの。そこの船着き場で会って今来たばかりだって。ジョウイが王様になって驚いちゃった!」
支離滅裂な内容ながら、言いたい事を酌むのは可能だった。順序立ての成って無さに呆れているルックの横で、レンの双眸は怜質に冷え込む。
−−ジョウイが皇王に即位。
−−同盟軍への休戦協定の申し込み。
視界の中心へ歩み寄った長身の影に、真意を探ろうとした先を遮られ、顔を上げた。
「お久しぶりですね、レン・マクドール殿」
静かな面の中で情を全て取り去った碧眼が、まっすぐに無言の黒髪の少年を映す。レンに向かい軽く頭を下げる仕草を見て、ナナミが驚いて口元に手をやる。
「クルガン殿……」
幾月かぶりに顔を合わせた青年の名を口にするまでに、図らずも間が空いてしまっていた。そして、ティエンの顔に紛れもない疑心が生まれたのを見たレンは、顔を背ける事も出来ない。
クルガンの意図を察したものの、何の手立てのない事に悔いる事も許されなかった。
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