<UP DATE:20080923>



君のそばで会おう


 地図上ではすぐそばの−−山一つ超えた向こうの街まで運行している馬車にレンが乗ったのは、一日半歩き通した後だった。
 女子供が一人でなど危ないと、もう耳慣れてしまった誤解をした馬車の主人に拾われたのである。ちょうど、山越えの手前であり、表現はおかしいが渡りに船だった。さすがに疲労も貯まってきており、人の好意を無にするには惜しかった。
 荷台を覆った幌の中には先客が七名ほど。家族連れらしき三人組と商売人風の男が三名、腰に剣を二振り下げた青年一名。家族連れがたまに密やかな会話を交わしている他は、皆疲れているのか、膝を抱えたり背をもたせたりした姿勢で眠っている。新たな乗客に興味を引かれた様子もない。深い眠りの中で、気づいていないだけかもしれなかった。
 レンは入り口近くに座を譲ってもらい、腰を落ち着けた。
 舗装が整った道ではないため、伝わる震動は大人しくはないが、誰もが「自分で歩くよりはまし」と諦念しているようだ。じっと目的地に着くのを待っている。主人の話では、今夕には到着する予定だと言う。まだ、日は高い。元より心身共に熟睡のできる体ではなくなっているが、体力を温存し、疲れを幾ばくか癒せる貴重な時間になるだろうと、レンも同乗者に倣い、膝を寄せた。棍を抱くようにして、剣も帯から外すことはない。危機というものの呼ばなくてもやって来る律儀さは、短くない付き合いで学習している。
 目を伏せ、慣れれば律動的に感じる震動に揺られて、うつらうつらし始める。意識の半分は外部へと澄ませたまま、もう半分は緩やかに解放する。事が起れば、寝ぼけることなくすぐに反応するように。いつからともなく、意識せずともできるようになっていた。
 馬車が坂を辿り、山を登り始めると、家族連れの囁くような話し声もしなくなった。他人と話をすることもなければ、やることは多くない。幌内の空気自体も微睡んで来たように思えた矢先−−
 風が鳴くような音と共に、順調な旅程は唐突に終わりを告げた。
 馬の嘶きと激しい揺れに幌の中は一気に恐慌状態になる。
「野盗だ!」
 誰かの叫びに、女性−−家族連れの母親の悲鳴が重なった。
「こんな昼間から現れることはないのに」
 この道が初めてではないらしい商人の男が口惜しげに舌打ちをする。語尾が明らかな怯えに震えていた。
 レンは無意識のうちに、馬車から飛び降りた。山道に満ちていたのどかな昼の空気は、険しさに蝕まれている。意識の端を灼く感覚−−危機への対処を促す本能に結びつくや、馬車の前方へ走った。御者台では腰を抜かした主人に今まさに斬りかかろうとする野盗が目に入る。剣を使うか、棍を使うか、思案する前に腕が動く。
「ぐわっ」
 喉元を強かに突かれた男は、鞍上で後ろにのめった。その動きを見守ることなく、台へと上がると、戻した棍をなぎ払い、野盗を馬上から落とす。
「降りて!」
 乱暴な扱いではあったが、レンは主人の襟首を掴むと、背後へと促した。声もなく肯くと、主人は転げるようにして馬車の影へと潜り込んだ。恰幅のいい体格からは想像もつかないほど俊敏な動きだった。
 手綱を切られた馬は遠くへと逃げ延びていた。主人の策か野盗の仕業かわからなかったが、障害がないことはレンにとっても有利だ。
 落馬をした仲間を飛び越えるようにして、別の男が御者台に乗り移り、レンを牽制するため、剣を振り払って来た。闇雲な動きを認め、狭い足場でいかにかわすかを判断するまでの猶予は無いに等しい。レンは幌の上部に手をかけて体を持ち上げ、膝を曲げる要領で剣風をやり過ごした。そのまま足を伸ばした勢いで、男を台から蹴り落とす。粗暴極まりない挙作だが、相手は人の命を奪うことも躊躇っていないのだから、遠慮の必要もないだろう。
 二人を片づけるのに大した間はなかったが、他の野盗が後部へと回るには十分だ。
 叫喚に沸き立つ空気に急かされ、レンは再び後部へと駆け戻った。
 荷台に群がった内の最後部の一人を棍で払いのける。側の男がレンに気づき、抗戦をするべく向かい合おうとした鳩尾を強かに突いて昏倒させた。そうこうしている間に、残りの一人が上がり込む事に、今まさに成功しようとしていた。
 あと一息、と継いで棍を構えかけた目の前で、悲鳴が上がり、最後の野盗の体が後方へ飛んだ。地面に落ち、派手に転がってそのまま動かなくなるのを認めてから、それが、誰かに蹴り落とされたのだとわかった。
 荷台の縁に立つ人物と、その時顔を合わせる。
 乗客の中で、一人だけ風体が浮いていた青年だった。鞘に収めたままの剣を片方提げ、自分が始末した男が倒れているのを面倒くさそうに一瞥し、戻した視線がレンと出会う。
 レンよりわずかばかり年嵩に思える青年だった。
 亜麻色の髪、額に巻いた赤い布、無表情と言うには穏やかさを残す顔立ち−−記憶の中で全てが符合するものを確と結べず、苛立ちを覚える。相手の青年も何処かもどかしそうな顔で眉根を寄せた。そうして、やがて深いため息を吐くとその場に座り込む。
「だ、大丈夫ですか!?」
 頽れるような力無い動作に、レンは慌てて駆け寄った。
「おお、嬢ちゃん、ありがとうな。女の子なのに強えんだなあ。ん? どうしたんだ。怪我でもしたんかい」
 ひょこひょことやって来た主人が、満面の笑みで礼を重ねたところで、蹲っている青年に気づく。性別の訂正をする間がレンには与えられなかった。反論に開けかけた口を空しく閉じるしかない。
「それが……あの、大丈夫ですか?」
 膝の間に顔を埋めた辺りからくぐもった声が漏れる。耳を澄まして、どうにか聞き取ろうとした。
「その兄ちゃんは怪我はしてないはずだぞ。起きたと思ったらあっという間に片づけちまったからなあ」
 商人の一人が感嘆の口調の上で、不可解そうな顔で青年を窺っている。他の乗客も、命の危機は免れたため不安の色はないが、戸惑いが多く映った。
「寝てるみたいです」
 レンがようやく判明した現実を告げると、一瞬、間が空いた。
「え?」
 聞き間違えかと誰もの顔が言っている。
「お腹空いてたから動きたくなかったって」
「え?」
 レンの“通訳”に、空気がますます硬化していくのがわかった。緊張ではなく、反応を固辞するものだ。心情はわからないでもなかった。
「だから、街まで寝るそうです」
 誰も一言も反応できないまま、沈黙が落ちた。最初に、ようやく我に返れたのは、馬車の主人だった。
「そ、そうか。疲れたんだな。よし、街に着いたらちゃーんと礼をするからな。恩人だよ、兄ちゃんたちは」
「本当にな、俺たちだけじゃあ武器もないし、太刀打ちできなかったからなあ」
 商人の男たちも手放しに感謝をし、家族連れも「ありがとうございます」と安堵の笑顔を謝礼に変え−−扱いに窮した青年の存在を、誰もが取りあえず除外する空気に、レンも甘んじることにした。するしかなかったと言っていい。
 当の青年は、幌に背をもたせ、既に眠りの海へと繰り出していた。
 馬を元に戻し、街への道程へと辿ることを再開した折りには、レンも先刻よりは緩やかな気持ちでうたた寝を始めた。


 予定より若干遅れはしたが、街に無事にたどり着いた馬車の一行は、危機を共にした事により親しみを覚えたらしく、別れの際に皆が名残を惜しんだ。家族連れには何度も礼を言われ、商人たちには路銀の足しにと売り物の一部を分けてくれた。どれも、かさばらない装飾品で、何処の地でも一定の価値を保てそうな素材でできている。貴重な物品だけあり、過分だと返えそうとしたが頑と断られた挙げ句、言い募ろうとするのを振り切る勢いで去られてしまった。
 街に着いて、青年は覚醒はしたが、どうにもぼんやりとしていて、見る者に不安定さを覚えさせた。起きていると自分では宣言しているが、どうにもおぼつかない。
 そう思ったのはレンだけではなく、馬車の主人も同じで、馴染みだという宿を世話してくれた。馬車代も無料にすると言い出す主人に、レンは遠慮をしようとした口先で止められてしまう。
「命を救われたんだと思えば、安いもんだ」
 自分の言葉にうむ、と大きく肯くと主人は再び仕事に戻っていった。
 さすがに夜に押し迫った時間帯で一人部屋を二つという贅沢はなく、二人部屋だった。野宿が普通だと思っている旅路であり、屋根がある場所で寝られることだけでレンには十分だった。相部屋になってしまった青年も、不満もなく、部屋までレンの後について来た。寝台に腰を下ろして向かい合い、改めて顔を合わせる。
 どう、切り出せばいいのか。その迷いの元は、お互いがわずかな邂逅を記憶していたからだった。
「あの……」
 巧い言葉を探そうとすればするほど余計に混乱するようで、口を噤む。これほどに自分が口べただとは思っておらず、レンは苛立ち、継いで落胆した。
「覚えてくれてたんだね」
 不意に、青年が口を開いた。ただ、じっとレンを見つめているだけで沈黙に徹するかに思えた雰囲気が和らいでいる。
「あなたも……」
「うん」
 こくりと肯く。妙に幼い所作だが、この青年に似つかわしく思えた。相槌を返した青年から、レンは目線を落とす。
 テッドは今どこにいるのか、そう、訪ねられることを恐れている自分に気づく。胸の奥が冷える。
「レンさん、だよね」
「どうして名前……」
「トランの英雄って、レンさんでしょ?」
 これからの天気の移り変わりを訊ねるような素朴な問い口調なだけなのに、深く差し込んできた。あの戦争にまつわる風評について、自分自身耳にしなかったわけではない。そして、全てを知っているわけではない。どのような形で青年が受け止めることになったのかも、知る由もない。
「英雄なんかじゃありません」
 心の奥から絞り出せば無様な声になってしまう。それを抑えれば、冷ややかな音質になってしまった。
「そうか、望んだものじゃないってことだね。でも、噂はいつだって身勝手だから、仕方ないね」
 あっけらかんとした、悟りきったような口ぶりでそれ以上は質してこない。今まで、接してきた“トランの英雄”を知る者とは全く違う態度だった。
「あの、テッドは……」
 訊かれる前に言ってしまえば−−自白してしまった方が楽だと口を衝きかけ、躓いた。
「その紋章、レンさんが持ってるんだね」
 先回りでもって繰り出してきた指摘は、予想していたより速やかで鋭く、だが、ずっと同じ穏やかなままな調子を崩さなかったからこそ、レンの感情は踏みとどまれた。
 音はなく、ただ肯いて返す。喉の奥から答えを引っ張り出せなかった。
 どうして知っているのか、何故わかるのか、複数の問いが同時発生して混迷した頭を俯かせてしまう。
「ごめんね。そんな顔させるつもりはなかったんだけど」
 申し訳なさそうな青年の声に、レンは頭を振った。項垂れたままで、頭に血が上りそうになる。
「謝らないでください。それこそ、僕が謝らないと……」
「何故?」
「あなたが、テッドとまた会える機会を……」
 永遠に奪ってしまった。
 胸が捩れるようだった。抑えよう抑えよう、そうすればするほどに、ずっと固めてきた理性の箍が緩みそうになる。その原因を当てることは易かった。この青年も、テッドを知る人物だから。
「なおさら、レンさんが謝るのはおかしいと思うけど……会えなくて辛いのは、レンさんも一緒じゃないのかな」
 不思議そうに言って、「あ、そうか」と手を打つ。
「お腹空いてるんだ?」
「え?」
「お腹空いて悲しいこと考えてたら、どんどん深みにはまっちゃうから。うん、じゃあ、何か食べに行こう」
 眠たげだった様子は、もう何処にもなかった。ひどく重い責務を抱えて決意したような顔つきで立ち上がると、呆気にとられているレンの腕を引こうとする。何の躊躇いもなく腕を差し伸べてくる青年は、元が人見知りしない質なんだろうかとまたも呆気にとられる。
「あの」
「お腹空いてないの?」
 心外そうに問われ、反応に困った。
「いえ、そうではなくて、あなたの名前……」
 正確には名前を知りたいと真っ先に思ったわけではなかった。動揺している自分を落ち着けるだけの間を、得たかったのだ。そのような意図を知る由もない青年は、名乗りを忘れていた現実に気づいたようだが、少し目を瞠っただけだった。この青年にとってもまた、名前はそれほど重要なものではないらしい。
「僕はセツナ、よろしく、レンさん」
 改めて差し出された手は右手で−−レンは反射的に生み出されそうになる拒断の意志を咄嗟に押さえ込み、応えた。しっかりとした掌がレンの右手を受け止めるようにして握り返す。
 甲に息づく“意識”が、とりあえずだんまりを決め込んでいることにほっとして、肩の力が抜けた。


 摂食活動中は、目の前のものに集中する性格であることは共通らしく、会話らしい会話もなく、二人はひたすらに手と口を動かし続けた。
 山間の小さな町ではあったが、食料は豊かに供給されるらしい。単調ではない食材を使った料理に思う存分舌鼓を打つことができた。
「ごちそうさま」
 これほどに食欲を満足させる食事は久方で、つい笑顔になってしまう。
 と、向かいに座ったセツナが自分を見ていることに気づいた。青年の方は食べ終わっていないようだが、手を止めて見返している。明かりの下でよく見ると、青と緑が微妙に混じり合った色合いの瞳をしていた。推定の年齢からすると不釣り合いなほどに、幼子のまっすぐさを持ち合わせた澄んだ双眸に見据えられ、レンは戸惑ってしまう。
「どうか、しました?」
 これ以上居心地が悪くなる前にと、思い切って問うと、青年は意識の先を切り替えたように瞬きをして、首をかしげた。
「? 何が?」
「いえ、あの、僕の顔を見てるから……」
「あ、ごめん。やっと笑った顔が見られたなあって思って」
「そ、そうですか」
「レンさんは、笑った方がいいね」
「……」
 どう答えればいいのか、最早わからなくなった。
「どうかした?」
 人見知りをしないらしい青年は、自分の言葉選びについて特に意識していないらしい。
「何でもないです……ただ、テッドのことを知っている人にこうして会えるとは思っていなくて……」
 今となっては、グレッグミンスターに残っているクレオやごく一部の人間だけだ。そう再認識するたびに塞ぎ込もうとする気分を振り払った。ほぼ初対面の相手に、それこそ見せる顔ではない。
「もちろん、こうしてあなたに会えたことは嬉しいです」
 取って付けたような口調になってしまった。口惜しいが、そのことをまた顔に出すわけにもいかない。
「うん、僕も嬉しい」
 あっさりと受けた口調に、レンははっとなった。目が合うと、セツナが微笑む。何もなかったところへ温かさが注がれるような、柔らかい笑顔だった。
「ごめんね。僕が馴れ馴れしいよね。なんだか、初めて……正確には二回目だけど、もっと前から知ってる感じがして」
 寡黙な青年な印象を持っていたが、それは偏見だったらしい。人の目を見てしっかりと言葉を口にする。人見知りをしない、そのような簡単な性格判断では片づかなさそうだと、今更気づいた。
「今、こうやってまた会えたから言えるけど、レンさんとテッドさんと会った時、羨ましかったんだ」
 懐かしそうに、ただ懐かしそうに。そこにはテッドの死へ繋げるような暗澹たる想いは全く窺えなかった。
「羨ましい?」
 何故そのような感情が発生するのか、レンには理解できず、思わず反芻する。聞き慣れない言葉のようにぎこちない音になった。
 セツナはうんと肯く。
「僕と一緒にいてくれた時のテッドさんは何処かよそよそしいというか、人と関わることに怯えていたみたいだったから……だから、あんな風にまっすぐ僕を見て話をしてくれたことに吃驚して……嬉しかった。そして、羨ましかった。そう言う風に変えてくれる人に会えたテッドさんと、テッドさんにとってそう言う存在になったレンさんが」
 言うなれば婉曲の正反対、あまりに直球な言葉にレンは反応ができない。
「?」
 黙してしまった相手に、セツナは窺うように首をかしげた。
「ううん。セツナさんって気持ちをはっきり口に出せる人なんですね」
 これでは嫌みにしかならないのでは? 頭を抱えたくなる。
「レンさんが相手だからかな」
 “事情”を何もかも分かり合ってもらえる相手だから、と言う意味合いで酌むべきだろうと前向きに一歩進んでみる。このまま自分だけじりじりとさがり続けるわけにはいかない。そう心に決める傍ら、セツナに対し何処まで遠慮をして、線引きをすればいいのか、当惑は消えそうになかった。
 いつもなら、相手に合わすことは難無いはずが、これほど狼狽している自分が滑稽だった。
 会えて嬉しい。この言葉は嘘ではないことがせめて伝わっていれば、それでいい。高望みはしないことにした。


 寝付きの良さは時も場所も選ばないらしく、部屋に戻るとセツナはすぐに寝始めた。食事時の会話を特に引きずることもない。いくら何でも警戒心が無さ過ぎるとしか思えない青年に、レンは感心さえしてしまった。
 テッドとセツナは、いつ出会って、どういう別れをしたのだろう。
 グレッグミンスターで再会をした時の、テッドの顔を思い出す。驚きは動揺にすげ替えられていたが、逢遇への拒絶感はなかった。ただ、どう対処すればいいのかわからず、友人は狼狽していた。その背をレンに押され、ほっとした顔。自分の選択は間違ってないと安堵していた。追いかけて−−帰ってきた時には、普段のテッドに戻っていた。
「会えて良かったね」
 とだけレンは口にし、「そうだな」と友人は照れを隠して−−無愛想さを装っていたが、本心でも肯定をしていた。会いたかった人間に会えた、その事実に嘘をつけていなかった。つまり、テッドとセツナはそう言う出会いをかつてしたのであれば、それでよかった。ごく当たり前な好奇心から派生した疑問がないと言えば嘘になるが、敢えて訊ねる気にはならなかった。裏を返して、自分が問われたくないからではない。
 テッドのことを忘れたことなどない。
 いつだって、一日たりと、一時たりと、どの瞬間でも覚えている。それでも褪せない記憶に触れようとするたび、眠らせていたはずの感情が、硬くなったはずの涙腺が緩みそうになる。冷静に思い出すことが、未だにできない。辛いとか悲しいとかそう言う言葉では片づかない、せめぎ、こみ上げてくるものは複雑すぎて、その正体は、この先もわからないだろうと思っていた。
 こうして、テッドを知る者を前にし、自分の弱さを思い知らされて、余計に拉がれた気分になる。
 することもなく横になれば、待ちかまえていたように眠気が意識を緩ませてきた。前日までの疲れが猛威を振るい始める。寝返りを打ち、壁側に体を向けると目を閉じた。
 右手を胸に抱き寄せて、そっと左手を重ねる。存在を主張するよう、浅い熱を発するのを感じた。
 夢には、テッドが出てきた。夢を見ること自体が随分なご無沙汰で、同時に夢に騙されない自分がいることに苦い笑いが浮かぶ。
 現実は還らない。
 過去を変えることはできない。
 城に近い、橋の上で二人並んで立つ。暮れなずむ町並みを眺めていた日常の一つを繰り返そうとする。
 夢の中の友人は、現実を偽らないだけ、軽口を叩いてよく笑った。
「どうした? 元気ねえな」
 相槌しか満足に打てないレンに、テッドは顔を覗き込んでくる。夢でもこうして会えた、それだけでも嬉しいのに、嬉しいはずなのに、このタイミングでこのような夢を願っている自分の心境が不可解だった。
「ごめん……何でもないよ」
「何でもないって顔か、それが」
 また明るく笑って、元気づけるように肩を強く抱き込んでくる。
「ほら、話してみろよ。テッド様が相談に乗ってやるよ」
 揶揄を絶妙に込めながら、晴れたテッドの声が胸に染みる。現実としか思えない、友人の手の力、温かさ−−思い出を辿り、忠実に再現してみせる。
「いいんだ。テッドの側にいられている。それだけで僕は……」
 夢でもいいから会いたかった。そう、いつかは願って、だが、叶った試しはなかった。
「お前は変わらないな」
 テッドの落とした呟きに、どきりとなる。浮きかけた意識を“夢”に戻せば、辺りは夜闇に包まれていた。
「自分を甘やかそうとしない真面目君なのも良いけど、そればっかりじゃ疲れるだろ」
「テッド、僕は何度も後悔している自分が厭なんだ。現実は変えられやしないのに。それでも、あの時ああしていれば、こうしていれば、こんな事にはならなかったんじゃないかって性懲りもなく浮かんでしまう考えが確かにあるんだ」
 テッドに愚痴を並べる意図が自分でも解せない。夢だからと割り切って、せめてここで吐き出そうとしているわけではない。その、はずなのに。
「そうして遡って、俺とも会わなかったらってオチに着けたら満足なのか?」
 やれやれと呆れた声で、夢でも言って欲しくない科白だった。
「そんなわけない!」
「即答ありがとうさん。俺も、お前に会えて良かった。お前に会わなかったら、俺はずっと自分が嫌いな人間のままだったしな」
 大人びた面差し。テッドの歩んできた人生の長さと重さを知ればこそ、不意に射した瞳の深さも、今ならわかった。
「レン、お前には幸せになって欲しい。それが俺の、あの頃から変わらない願いだ。そのわがまま紋章を手懐けて、その後悔って奴の出番を減してくれ。一つでも良いこと、お前が笑顔になれる記憶を増やしてみろよ」
 おぼろげになるテッドの姿、肩に置かれていた重みは失せる。空から星のきらめきが降り始めた闇に溶けて行こうとする友人に伸ばしそうとした手を止めた。
 こうして、夢想の残酷さを突きつけられて、わかってはいても苛立ってしまう。このような感情も久しい気がした。
「ああしろこうしろって、テッドは注文が多すぎだよ!」
 思わず、ぶつけてしまう。
 僕の最後のお願いはきいてくれなかったのに。一緒に帰りたかったのに。
 子供のような駄々をぐっと押さえ込む。それでも、たとえ隠しても、なきものにはできない。
 −−ごめんな、お前に一生のお願いをしてたくせに……お前のお願い、聞いてやれなくて……。
 あの手を放したくなかった。生を手放そうとする友人の意志をつなぎ止めたかった。あの時、きっと一生分の涙を流し尽くしてしまったのだろう。
「そう言うなよ、俺の一生のお願いだからさってのは……もう終わってるから無理か。参ったな」
 笑って飄々と、自分の死を受け止めてみせるテッドまで、己の夢の産物だとは思えなかった。
「テッド!」
 言うに事欠いて、と睨みつけようとしたところで、テッドが掌で口を塞いできた。触れ合っている感覚は薄いのに、反論の意志を削がれてしまう。
「はい、そこまで。怒るなよ。……何かお前、気が短くなってんなあ」
 経緯はともかく、今は誰のせいだと目に物を言わせて返せば、悪びれない笑顔が返ってきた。
「お前の順応力ってやつ、本領発揮させろよ。いい加減、我慢しなくてもいい奴の一人や二人作ったっていいんじゃないか? 堪え忍ぶだけが人生じゃないだろ。あ、良いこと言うなあ、俺。
 なあ、レン、ここは一つ、人生の先輩のありがたい忠告、聞いといて損はないぜ?」
 星粒の光りが膨れあがり、辺りを白く滲ませていく。テッドは天を仰いで、「時間切れだ」と嘯いた。
「じゃあな、レン」
 またな、と続きそうな口ぶりで、ぽんとレンの額を叩き、白く輝く空気に眩ませる。言いたいことだけ言ってお仕舞いなのかと言い募ろうとしたところで、現と意識の接触の方が早かった。
 宿の天井と向かい合って、深々とため息を吐いた。
 テッドのことを思い出すたびに、せっつくように揺さぶる自分の感情はやはり怖い。けれど、大切な記憶のかけがえのない存在と見(まみ)えることは嬉しいはずだ−−昨夜の夢では、別の意味で鬱屈しそうになったが。
 隣のベッドの気配が身じろいで、セツナの意識が覚めたのを感じた。寝ぼけた鈍い動きで起き上がり、あくびをかみ殺した顔でレンを見、頬が緩んだ。
「おはよう、レンさん」
 一人ではないことがもうずっと前から続いていたように、セツナは笑みと共に挨拶を向けてくる。
「おはよう、セツナさん」
 その自然体に笑顔を引き出され、継いで、しっかりと自分の意志でもって笑みを作った。

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