Elegy under Luminary


 風がなく、鏡のように静まった湖の面は、中天の白月を映していた。
 青く沈む空気に溶けるように、清(すが)しい音色が流れて来る。満ちる静謐を損なうことなく、耳に馴染む音を紡ぐのは、銀色の横笛――演奏者は、畔で腰を下ろした青年だ。
 その傍らには、蹲った飛竜。月明かりに浮かぶ鈍色の肌の生き物は、じっと目を伏せ、その旋律を解するのか、耳を傾けているように見えた。
 湖の中の月を眺めながる青年の横顔は、物憂げで、指だけが無心に奏でている。澄みきった音は、演奏者の心中が滲むことはないのか。
「……?」
 青年が笛から口を離すのと、竜が喉を唸らせるのとが、ほぼ同時だった。次の瞬間には、彼は、笛を剣帯に差し、柄を握る。先程までの憂いは消し飛び、眼光は、夜風を突き通すまでに鋭い。
「美しい音色だな」
 低く、良く通る声が、届いた。
 振り返った1人と1匹の眼前、闇に飲まれた森の中から進み出たのは、今1人の青年だった。同じように腰に剣を差しているが、剣呑さも感じさせず、落ち着いた足取りで、彼らに歩み寄ってくる。
「そう、警戒しなくても良いだろう。
 心配せずとも、その調べを、この場で無粋に終わらせるつもりはない」
 牙をむきだして、唸り声を上げている竜に、現れた青年が口の中で何か呟くと、竜は唸るのを止め、蹲った。
「?」
 急に大人しくなった竜に、主である青年は、不審に眉を寄せる。
「先ほどの笛、もう少し聞かせてくれないか?」
 相手の警戒など全く頓着していない様子で、彼の横に並ぶと、さっさと腰を下ろす。肝が据わっているというには、語弊がある気がした。柄を握ったままの青年は呆気にとられて、演奏の再開を望む青年をみやる。
「どうした?」
 全く殺意も敵意もない相手に、1人我を張るのも馬鹿らしくなった青年は、盛大なため息を吐いて剣から笛へと持ち替えた。そして、彼から十分な距離を取って座ると、笛を吹き始める。
 不穏さに破られかけた静寂が戻り、聴き手である青年は腕を組み、演奏が終わるまで、じっと聞き入っていた。竜も人も、月もその調べに傾聴しているようだった。
 最後の音が弱まり途切れたところで、観客だった青年は賞讃の拍手を送り、笑みを浮かべる。
「亡者を弔う哀悼歌か……物悲しいものだ。
 はは、戦いの中でしか己を見いだせない人間でも、まだ、そう感じられる心が残っていたとは」
 自嘲混じりに緩く首を振り、不意に立ち上がった。
「夜が明ければ、韶光たらんこの地も、戦場となるだろう。愚かなことだ。
   ……私の言う科白ではないがな」
 ありがとう、と呟くように言うと、その青年は、再び森の闇に紛れ込んだ。その背中を見送った青年は、銀の笛に目を落とす。
 去る寸前に呟くように、彼が落としていった言葉。
 ――望まぬ者が戦わなくて済む、そのような世界に……なればよいな。
 耳に残したまま、もう一度だけ、笛を演奏するために湖へ視線を戻した。


 
 白々と明けた夜、露濡れる青草を撫でるのは、爽やかな朝の光りではなかった。剣戟と馬蹄、露に混じるのは、人馬――そして竜の血だ。
 青年は、そんな地上を見下ろし、苦いものが喉にこみ上げてくるのを堪えた。彼を乗せた竜が、警告を促す声を発したかと思うと、翼をはためかせ、一気に上昇する。
 数瞬前までいた位置を、薙ぐ魔法の一閃。
「!!」
 見れば、敵方の竜騎士が数騎、風を切り裂き、向かって来ていた。その先頭、銀色に輝く鱗に包まれた竜が、ひときわ目立っている。
 青年は、ごくりと息を呑んだ。
 彼の竜の騎手は、一騎当千と味方の間でも畏怖されている、聞人に違いなかった。竜と言葉を交わし、竜言語魔法を操ると言う、最高の竜使い。
 青年は、怖じようとする己の精神を叱咤し、竜の首を軽く叩いた。応えるように一声鳴き、首を擡げると全身を震わせる。見えない膜が空気の流れを遮断し、靡いていた髪が汗の浮いた額に張りつく。
 敵の竜使いは、更に近づき、顔が視認できるまでの距離になる。
 ――はは、戦いの中でしか己を見いだせない人間でも、まだ、そう感じられる心が残っていたとは。
 血に濡れた己の罪の深さを嘲り、逆に悲しさを感じさせた。
 ――愚かなことだ。……私の言う科白ではないがな。
 偽りや、その場限りの感情的な言葉ではないと思った。
 だが、目の前の騎士は、不敵な笑みを浮かべて、槍を構えた。竜の肌と共に、陽光が鋭く銀を弾く。
「我が前にいる運命を、恨むがいい!」
 自信に溢れた声は、風の唸りにも負けていなかった。彼はこうして、味方を鼓舞し、敵を威圧してきたのだろう。
 だが、負けるわけには、いかない。引くわけには、いかない。
 繰り返し内で呟くと、青年は、竜の手綱を引いた。


 ――望まぬ者が戦わなくて済む、そのような世界に……なればよいな。


[HOME] [TOP↑]

Copyright Reserved by Kohki