第五章  時を繰る者

 “止めた”手応えを感じた瞬後、ブラックアウトした視界。自分の体から運動を司る神経が全て引き抜かれたように、その場に昏倒する−−それが、現実とを繋ぐ記憶の最後だった。
 熱っぽく重い泥の中に体が沈んでいく。そうたとえるしかないまどろっこしい感覚に翻弄されていた。
 −−ただ、一定以上の力を集中して使うと、負荷がかかって昏倒しかねない。ホドホドにな。
 この期になって、あの青年の科白を思い出す。元から忠告を聞く気はなかったが、逆に思うままに策にはまってしまった−−明らかな責任転嫁でもって歯がみした。
 痛みはない。
 だが、不快さはその無痛状態を打ち消すように強かった。もがいても、どうにもならない。無力さを嘲笑う他の意思を感じて、頭の中が煮え立つ。
 そもそも、このような使い勝手の悪い体になったのが運の尽きだ。
 クラウナートは舌打ちをそれでも堪え、意識の向きを反転させた。覚醒へと繋ぐことを諦めないためにも、一息をつこうとする。
 今より成長した体。それを欲したことは昔にもあった。
−−それは無理だな。お前を構成している体細胞が耐えられない。
 ディスプレイを眺めていたマイザックは振り向きもせず、けんもほろろに断じた。茫洋とした声だが、揺るぎない事実に即した自信に満ちている。
−−てめえが作ったもんがポンコツだからだろうが!
 望む返答としては、少年の思惑と大きく外れた四角四面なものに憮然となった。科学者とは未来に夢を、不可能を可能にしようとする“人種”ではなかったのかと内でごちた。
−−大体、何故、今大人になりたい? その寸法に不都合があるとは思えないが。
−−それはてめえの都合だろうが。俺は見下ろされるのがいやなんだよ、てめえにな。
 研究室としては狭くはないが、居住空間としては窮屈で退屈な一室で、たった一人の話し相手に向かって強かに言い放つ。自分を作り出した人間だが、他のAHのようにマスタープログラムに支配されることはなく、マイザックを絶対的存在と見なすことはない。
−−ふむ。まあ、人並みの成長速度でいいならできないこともないが。
 トントン、とリズミカルにキーボードを叩いて、椅子ごと振り返る。どうする? と首をかしげて伺ってきた。
−−ちんたら待ってられっか。
−−では、ずっとそのままだ。
 他に選択肢を構えようという気がないらしい。
−−くそ、むかつく奴だな。
−−それでも、今のお前は私の庇護がなければ生きることはできない。まだ安定していない部分が多いからな。
−−凡暗め。
−−万能ではないな。
 この男を罵っても、宙をかきむしっているようなものだ。苛ついて終わる。
−−お前が本来の力を出せれば、年を一瞬にして経ることは可能だろうが……いや、やはり、人造の肉体が保たないか。
−−俺の力?
 怪訝に返すと、男は眼前で指で何か小さなものをつまむ仕草をした。
−−石をお守りにやってるだろう? 
−−あんなゴミ石にどんな御利益があるってんだよ。
 吐き捨てると、マイザックの笑みは深いものになった。本人は自覚がないだろうが、背がぞっとするほどむかつかされる顔だ。
−−そういいながら、肌身離さず持ってくれてる素直なお前が可愛いよ。
−−うるさいボケ、死にたいか。
−−わかってないねえ。私が今死んだら、お前も遠からず死ぬんだよ。<理体>の遠隔機能維持操作もまだ完全ではない現状ではな。
 ただの脅しでなく殺傷能力を少年が備えていることを知っていながら、余裕を崩さず返してくる。この男は、銃を突きつけられてもきっとこの態度を崩さないだろうと思った。
−−理体? なんだ、そいつは。
−−クロノス……いや、この場合喩えるなら、クロノスのかけら、か。
 視線を彼方へと放って、感慨深げな男のつぶやき。はぐらかしにしか取れず、その後は苛立ちをぶつけて、全て暢気にかわそうとする男にまたいきり立って、クラウナートが飽きて話題を投げ出すまで続いた。
 ただの妄言、いつもの戯言としか思わなかったから、その場限りで、以降思い出すことはなかった。石の存在。今はアルカが持っている−−マイザックの“お守り”。マイザックの言っていた<理体>……そして、あの石はそれほどに自分の存在に不可欠なものなのか。
 今もう一度マイザックと話すことができるなら、肝心なことは最初から余さず伝えておけと罵倒したい。相手に怒りが通じなくても、せめて自分の気が済むまで。

 『ノビアまで、後二時間三十五分十秒です』
 ルエヴィトの報告に、セディールは顎を撫でた。
「デューイが警戒フレアを無効化する機能を乗せたと言っていただろう。試したのか」
『はい、マスター。計算ではもう三十分経過後に使用すれば、成功率は五十%上昇する結果が出ましたので、今は行っておりません』
 いつものように、可能な範囲で手抜かりなく手段を行い主人の期待に答える。この点でも、世界最高水準の技術がつぎ込まれたAIの証明だろう。
「いまやれば、間違いなくコバルファに逆探知されるということか」
『その可能性は、百%になります』
 確実に起こるのであれば、“可能性”ではない気がしたが、男は追求しなかった。
 隣の席の少女を見やる。胸に提げたペンダントのトップを握り、じっと息を詰めていた。何かを感じ取り、招かれる感情の正体不明さにとまどっている。クラウナートだけを信じて、それだけが存在意義である少女には 怯えなど無縁なのだろう。だが、今は、そのクラウナートの“危機”に“怯える”しかない。
 最初とは随分変わった、と思った。同じ無表情でも、その白い肌に透けて少女が抱える想いが見えるようだ。
『マスター、通信が入りました。
 発信者は、<エレミア・DH4050NH508>です』
「間を置かずとは、珍しいことがあるものだ。繋いでくれ」
『承知しました』
 無音だったのは、一秒もなかったかもしれない。
 相手とどれだけの距離を隔てているのかを予測させないだけ、タイムラグが存在しなかった。“跳躍”中であっても、音声に乱れは一切ない。
『やあ、移動中のところすまないな』
 よく言えば愛想の良い、悪く言えば緊張感のない声が届く。
「あまりに珍しいことがあるものだと感心していたところだ。一体どうしたというんだ?」
 この男からの不意な連絡というのは良いことをもたらす可能性が低いことを経験的に知っていて、セディールの声は慎重なものになる。元から声は落ち着いているので、付き合いの浅い他人にはわからないほど微妙なものだが。
『セディールたちはノビアに向かっているのだろう?』
「そうだ」
『クラウナートたちの回収だろう?』
「そうだ」
 何故わかるのかと愚鈍な反問はしなかった。相手に計り知られる程度の持ち合わせしかなければ、デューイは今の地位にはいない。そのことを同じエクラスハンターであるからこそ、わかっていた。
『ハーロング嬢の現在位置の把握はしたか?』
「したいところだがお預けを食らっているところだ。ルイが用心深いんでな」
『なるほど、まあ、そうだろうな。ルイの判断は賢明だ』
 平坦なようで本意を隠す響きにセディールは、声をリアルに届けてくる拡声装置を上目で見る。
「気のせいか。私には否定的な言い方に聞こえるが」
『俺が連絡したところで、よからぬ予感がしていると思うけどな……』
 自覚があるらしい。
『三分前、クラウナートのコンディションがハイリスクゾーンに入った信号を受信した』
 前置きはなく。経過の説明も当然必要ないと言わんばかりの口調で、現実を告げる。提示すべき最大の関心事のみであればよく、最小の手間で事を運ぶ主義のデューイらしい、とセディールは納得した。
 確かに、青年が告げている事態が、最も気にすべき事だ。
「どういうことだ」
『いくら俺の言うことを聞く気がないにしても、早すぎやしないかと思うんだがな。不完全な身体に負荷がかかるようなことをやらかしたようだ』
 セディール並の冷静沈着ぶりを、普段は愛想のよさでカバーしている青年にしては、声が固い。
「それほど、深刻なことになっているのか」
 察して、男の声も僅かに低まる。
『シビアだな。おそらく、以前のように身体機能停止になっているだろう』
 シビアどころではない。最悪ではないかと思った。メグリンの研究所内でそのようなことになれば……フレムたちの脱出は不可能になる。そう決めつけてしまうのは早計だが、精神的に強いとは言えないフレム単独では、たとえペントイルが信頼する能力者でも無理だろう。かみ合っていないように見えて、バランスは取れているクラウナートとのコンビならどうにかなる−−楽観を自覚しつつも推していた。
『今、エレミアにできるだけ情報を集めさせている。セディールはハーロング嬢の現在位置の把握と、彼女の回収を最優先しろ。クラウナートの方は俺が何とかしよう』
「お前が?」
『マイザックにアフターサービス料はもらっていないんだがな、俺も、自分が作ったものに責任はある』
 譲れないものだけに、音は強い。絶対的な自信があるからこそ、揺らぐことは己が許さないのだ。
『後の合流場所を決めたら連絡してくれ。じゃあな』
 セディールの知る限りではいつにない慌て方で、通信は切れた。聞き残し言い残しに悔いることはなく、やるべき事も少ない。
「デューイの現在位置は」
『クレストール星系、それ以上の詳細は現在把握できておりません。<エレミア>に確認中です』
 他のレーダーの追尾を攪乱する技術はこのクラスの航宙船では標準装備されているものの、その技術の精度の差が当然ある。<エレミア>と<ルエヴィト>は同じ制作者なため同程度のシステムが組まれていると言ってもいいが、機能アップを常に図る科学者の手によりリアルタイムでメンテナンスを受けられか否かで、格差ができる。
「クレストール……反対側だな」
 セディールが事実の確認だけのために呟き終わるまでに、優秀なAIは一仕事を終えていた。
『マスター、安全かつ最短のランデブーポイントはメグリンから西宇宙方向へ二百光年、003-522-MK6です。燃料の消費を押えるために跳躍無しで、所要時間は後二時間四十五分二十秒。なお、<エレミア>の協力により、ハーロング嬢の所在地の探索作業は間もなく完了できます』
「任せる」
 最上の手段をいつも構えてくれているのに、ここでケチをつけるような傲慢さは持ち合わせていなかった。
『それと、マスター、UPCAからも音声通信が入っております。現在待機中です』
 これほど間を置かず入ることはないため、さすがにセディールも困惑を浮かべた。だが、事態の危急度を思えば、致し方ないことだと納得もする。
「発信者はペントイルか?」
 たいした推測ではなかった。
『はい。お繋ぎします』
 通信の大まかな目的はフレムの件だろうと思ったが、基本的に“待つ”態勢を崩さない人間だと認識していただけに、疑念もあった。それだけの事に展開しているのかと推す。
『久しいな、セディール』
 セディールが交信を行う時は通常映像は切っているため、久方に友人の顔を見ることはなかった。だが、声で健康状態は把握できる。それで十分だった。
「そうだな。挨拶はお互い苦手なことは了解している。本題に入ってくれ」
『助かる。わかってはいると思うが、ハーロングの件だ』
 単刀直入に過ぎることはなく、男は頷いた。
「現在回収に向かっている」
『うむ。だが、並の危険度ではない』
 フレムの定期報告はグリパスに入る前が最後だ。その時点で行動の予定計画書は提出しているはずなので、UPCAも独自に追跡をしていたのだろう。不必要な確認に無意味な質問を重ねることはない。本来の任務目的と外れてはいるが、フレムがいかなる優れた理由でメグリン侵入の上司の承諾を得たか−−セディールも訊くことはしなかった。たいていのところ、想像はつく。
「UPCAの敵地だからな。承知している」
 わかりきったことの応酬のために通信を求めてきたのではない。次を待った。珍しくペントイルが言葉を選んでいることに気づく。
『ハーロングの救出について、<セツナ>のダイレクトコールが出た』
「<セツナ>の?」
 意外というには的はずれではなかったが、驚きは大きかった。
『ハーロングが送ってきたセルツァー博士の研究データの解析の結果、ハーロングと同行している人物のコバルファへの引き渡しは断じて阻止すべし、とのことだ』
 フレムと同行している人物は、クラウナートとリーナックだ。UPCA側はリーナックがコバルファに誘拐されたことは知らないのだから、 答えは一つしかない。
「ふむ、それはもちろんだが、何故わざわざ<セツナ>が?」
 <セツナ>は局側の要求に応じ、UPCAの国際憲章に則った範囲で、最低のリスクで完遂できる助言をする。だが、ダイレクトコールは、人間側からの要求がない状態で、<セツナ>が判断し推測した高度の危険を回避するために自発的に指示を出してくることだ。国家間の問題では発生率は低くないが、一個人に対し出ることは考えにくい。
『コバルファのAH制作に深く関わっているらしい。この辺は私の部下の見解であって、<セツナ>は未だ詳細を示してはいない』
「で、私はどうすればいいのだ? 実はこちらではデューイが協力してくれることになっている」
『ほお、では鬼に金棒だな』
 古くさいことわざを口にして、鉄のように固く情をにじませないと思えた声が笑みにゆるむ。
『ゼロ回線を開いておけ。<セツナ>から直接通信が入る可能性がある。これが私からの伝言だ』
 ゼロ回線とは、SAクラス以上のリーガルハンターに義務づけられた緊急用通信回線である。危急の事態時、UPCAから協力要請が下されるためのものだ。
「それだけのために部長御自ら連絡を寄越すとはな」
 相手がどのような顔をしているか、わざわざ想像しなくても、自分と大差変わらないものだろうと男は思った。思うだけだ。揶揄はセクター・ペントイルには通じない。
『この件についての駆動範囲は極力せばめておかねばならん』
「宿敵相手故、慎重に慎重を重ねても越したことはない、か」
 長年の目標が一つ片づこうとしている。その事実を掴もうとしているからこそ、UPCA−−の国際保安情報管理部内は焦りを押え、絶対に失敗はできないという意思で統一されているはずだ。
『それに、一番腰が重いのは私だ。このくらいのことでもしなければ役立たずになる』
 似合わない軽口に、セディールは笑った。声を立てるわけではなく、目と口の形だけだが、この男に置いては満面の笑みといっても良いだろう。
『健闘を祈る』
「大事な部下はちゃんと連れ帰る。それが私の仕事だからな」


 戻ろうとした腕を押えられ、強い意志のこもったその力に、フレムとしては憤然と首を巡らす。
「リーンさん!?」
 制止への非難を視線に込めても、少女は揺るがない表情で見返した。
「戻ってどうするんだよ。俺たち、逃げてるんだろう?」
「でも、クラウナートさんがいなきゃ……」
 視線の、今やはるか先、床に倒れ伏した少年は動かない。周りのラキアたちもまた、動かない。不思議な−−静止画になった光景に心臓がどくんと不穏に打つ。
「俺たちがいなきゃ、あいつは一人で逃げられる」
 二人が連れに戻ったとして、三人とも捕らわれ、今度は完全な監視の元に置かれることになれば、脱出は不可能になる。だが、リーンやフレムといった足手まといがいなければ、何の遠慮もいらない−−今までに遠慮をしていたのかは怪しいが−−クラウナートは己の力をフルに使って状況打破を遂げるだろう。未だ不確かなままだが、それでも納得させられるだけの能力を持っている。
 反論できないだけ、自覚はあった。後手に回る必要のない<D-α>に難なく対抗できる自信は、今のフレムにはない。
 だからと言って。このままでは見捨てていくようなものだ。
「行こう!」
 現実的な焦りに煽られた少女にもう一度引かれ、今度は逆らわなかった。本能に従えば悩むこともない。疲弊した体の影響は、感応力に大きく及ぼす。これ以上の負荷を要する展開は避けるべきだ。
 わかっているけれど。
 ノビア行きの貨物発着場へ駆け込む間も、後ろ髪が引かれる力はゆるまなかった。振り返りたい衝動に、フレムは歯を食いしばる。
 無人の発着場には一台の機体が待機していた。
 近づくと、貨物を積み込むための後部ハッチが開く。これは、大した労力ではない。この程度ならこれほどにたやすく、何の心労もつきまとわない。
 人間が搭乗する標準的な設備はされていないため、機器の動作を知らせるオレンジ色の光りがぼんやり壁にあるだけだ。隅に行けば行くほどに深みを増す暗がりへと飛び込む。
 顧みる、入り口。躊躇った時間は恐ろしく長かった。
『待機状態解除。システムオールクリア。磁気アンカーフリー。ゲートオープンシグナル受信』 
 外部で流されている柔らかみのない人工音声が壁越しにくぐもって聞こえる。足下が小刻みに振動し始めた。
「リーンさん、できるだけ壁に体を寄せて座った方が良いわ」
 用心のアドバイスに、少女は素直に壁際にうずくまる。
 メグリンで製造された精密機械を輸送するための機体故、内部の空調は外部から完全に遮断してコントロールすることはもちろん、大気圏突入時を含めたあらゆる衝撃も緩和する性能を持ってはいるだろう。この時ばかりは、コバルファの技術を信じるしかない。
『射出』
 カウントもなく、機体はゼロから一気に加速した。実際かかるであろうGのほとんどが軽減されながらも、フレムたちは後部の壁に体を押しつけられる。
 耳鳴りや体のきしみも遠く、フレムは<D-α>とのリンクを解かない意思を保った。クラウナートに関わる情報を聞き逃すことだけはどうしてもできない。
 どうすればいいのか、巧い考えが浮かぶとは楽観しないが、そのまま本当に背を向けて飛び出すことができなかった。
 −−限定個体を除く有機体のみへの干渉か。これが初めてではないにしろ、無謀なことをするね。
 すぐ傍らで澄み響く、久しい声に、フレムは体が震えた。重く押しつけられる力への苦痛を堪えていた自分の唇が安堵の息を漏らすのを押えられない。
 −− 見てた、のね。
 声にはなっていなかった。だが、“相手”には通じている。
 −−さすがに僕としても知らないふりをし続ける辛抱もどうかな事態になったからね。
 望みもしない、歓迎しない状況の到来に辟易した口ぶりでも、フレムには心地よく響いた。今ひとつの蒼い空間に浮かぶ−−透徹した光りが縁取る少年の姿がまぶしくも懐かしい。
 −−お願い助けて。クラウナートさんに、手を貸して。
 −−それはできない。
 頑固な音が耳を打ち、フレムは冷や水をかけられたように身を竦ませた。
 −− どうして……。
 以前、助力を乞えば手を貸してくれると言ってくれたはずの無二の存在のつれない反応に詰りたくなる。立場をわきまえない己の不遜さをわかっていたが、我慢できなかった。
 −−あの子のこと、好きなの?
 突然口調が変わったためか、問いの意味が一瞬わからなかった。
 −−あの、クラウナートという子のことだよ。
 子、ということに違和感を強く感じさせられて、咄嗟に反応できない。
 ノビアまで、二十分。到着までに、向こう側の警備を含めた処理をしておかなければならない。だが、思考が止まった。辛うじて、<D-α>との繋がりだけは緩めない。
 −− き、嫌いじゃないわ。
 −−素直じゃないね。嫌いじゃない、か。そんな予備的な言い方するような者を、そんなに必死に助けようとするものなのかい? お優しいね、君は。
 揶揄に目を細め、幼さの濃い顔に静かな笑みを浮かべる。フレムにとって安寧を与え、絶大な信頼を置くに値する存在だが、こんな時、性根のねじれた友人でしかない。
 −−そんなこと、より……。
 −−他のことなら僕は君の願いを叶えることはやぶさかではないけどね。こればかりは、できない。
 何故、と心中の音にもならなかった。敏く感じ取った自分の一部に封じられて、何も言えなくなる。
 −−フェアじゃないから、直接、僕が手を出すことはできないんだよ。それに、後でとばっちりが来るのはごめんだ。
 言い訳を継いだところで、黙り込んだフレムに小さく笑う。困惑気味に、泣き出しそうな子供を宥めようとする優しい空気に、フレムは瞬いた。現実の船内の暗がりに重なる果て無き蒼色。
 −−代わりの者に手を回すよう伝えている。だから、君がこれ以上あいつの心配する必要はない。
 −− え?
 −−言っただろう。直接手を出すことはできないが、しかるべき者に指示を出すことはできる。僕だけではなく、君たちの組織の根幹にも関わる話だ。ペントイルも了承している。
 素っ気ない拒絶もからかいの一環かと、浮かぶ腹立たしさを押えて、知らぬ間に手配が終えられていた現実に唖然となる。
 −−ま、確かに手は出さないけど、一言忠告はするつもりだよ。本来なら、こんなやっかいな種を蒔いた人間に対して文句を言いたいくらいだけどね。
 −− どういう、意味?
 −−そのままだよ。だが、同種には干渉しないことが原則だ。長い時の中でちょっと波が立ったくらいの事だと諦めるしかない。
 ごく自然な口調でさらりと、聞き流すことができない事を語っていると、フレムは質しにためらいを生む。
 “外”の時間はあまりに緩やかで、そばで圧力に耐えて顔をしかめるリーンの体にも伝わっている振動も止まっているようにしか感じない。
 時間の流れの違いを目の当たりにすることは初めてではなかった。
 −− あなたの仲間って事? クラウナートさんが、そうなの?
 −−君と僕ほどのカテゴリーの違いはないけれど、近親たる存在と言うには足らないものが多いな。
 黙秘で通されるかと思った予想を裏切られ、フレムは二つの思いで息を飲んだ。
 クラウナートが人間ではないことを教えられた時より、驚愕の度合いは大きい。そのはずが、現の衝撃は静かに全身に広がり、揺らがせた。
 −−このままでは、いずれ君は知ることになる話の一抹だ。興味がないなら、忘れたらいい。
 当てこするように笑みを含んで、本当に性格が悪いとフレムは唇をとがらせた。
 −−まだ、終わりではないだろう。メグリンの<D-α>に深入りするリンクは絶つんだ。君の体がもたないからね。そして、無事に帰っておいで。ペントイルは相変わらずかったい顔をしてるけど、きっと気鬱を抱えてるよ。
 −−うん……。
 途端に優しい声になって、偽りない労りと励ましに胸が熱くなる。待っててくれている人がいる。その支えを得られたUPCAという場所が、フレムの帰る地だった。
 この任務が終われば、地球に帰還し、また訓練の日々が始まる。電脳感応者にとって能力のコントロールは終わりも果てもない。強力な力を持つ者であればあるほど、未曾有の危機を招く危険性をも持つ。それを避けるため、UPCAに所属する能力者は、絶対的な保護観察下に置かれる。窮屈を感じ、反抗する人員も少なからずいると言うが、フレムにとっては安らぎと庇護を与えられる唯一無二の空間だった。
「私、頑張るから。見ていてね、<セツナ>」
 誓いを込めて、現の声にする。UPCAが生み出した、宇宙最高の人工知能の名を、親しい友と等しく口にできる。
 他人を当てにし、頼ろうとしていた己の性根こそ叱咤するフレムに、少年は微笑んだ。蒼く澄んだ光りに溶ける、きれいな笑顔を見られる特権を、幸福だと卑屈なく受け止められる。
 −−賢明なる遊泳(ワイズスイム)を。
 時につめたく、そうしながらもこうして優しい音を感じ取れる限られた人間であることを、フレムは強い感謝と共に意気を奮わすきっかけにできた。
 現の時に戻れば、やるべきことは忘れない。
 メグリンのシステム巡回は、機体の射出とほぼ同時に終えていた。幸よりも不幸が勝る。メグリンを管轄とする<D-α>のサブシステムは、発見した不審者−−クラウナートへの対処を優先し、一体減っている貨物運搬機については大して注意を割いていない。うまく騙されてくれていることにだけ、ほっとできた。
 無事に逃げ切らなければ、クラウナートの行為が無駄になる。それを、犠牲とは思わない。思うことがないよう、新たな救い手がこなしてくれるよう願った。
 大丈夫。
 言い聞かせた。<セツナ>が依頼するだけの人物であれば、きっと自分よりもそつなくこなしてくれるだろう。今は、信じるしかない。
 コバルファの追尾センサーだけを断ち、ノビアまでのルート、着陸側のポートを確保する。監視システムのメイン回路にダミーを繋ぎ、余力で代行させることは訳なかった。メグリンをとりあえず脱せられたことに、ほっとしている自分に、フレムはぎゅっと瞼を閉じた。今の自分がするべき事はわかっている。悔やんで悲しんで、未来の足しになるわけではない。
 胸のポケットに入れていた通信機が震え、びくりとなった。
 過敏になった神経の錯覚ではなく、慌てて取り出す。横で、リーンが怪訝な顔を−−きっと今のフレムよりも不安で沈ませている。気丈で、度胸があるとはいえ、やはりまだ幼い少女だ。だからこそ、年長の自分が不安を助長させる行為は努めて避けなければならない。弱いが、微笑んで見せた。
「大丈夫。セディールさんからの連絡よ」
 リーンの顔がほっとほころんだ。クラウナートよりも率直に強い存在だと認めているからだろう。
『こちら<ルエヴィト・DH4056EH305>……』
 発信者の機械的な名乗りだが、人工的な冷たさを全く感じさせない少年の声に、フレムはほっとした。先刻の<セツナ>の声が聞こえた時と近く、緊張を和ませる。
「ルイさん、お手数をおかけしてます。私たちは今ノビアに向かう貨物運搬船の中にいます」
『現在地確認しております。ノビア・セントラル宙港内にあるコバルファの管理区域への到着は八分三十五秒後−−こちらの到着は一時間二十五分十秒後。安全な区画での待機をお願いします』
 ノビアに降りても、コバルファの“目”の支配域だ。ルエヴィトが簡単に口にするほど、現実は易くない。だが、フレムは相手に見えないことはわかっていても、強く頷いた。
「わかってます」
 自力でこの事態を脱しなければ−−似合わない自己犠牲をしてまで逃がしてくれた青年に顔が立たないと思った。今、どうなっているのか−−メグリンの<D-α>に繋ぎかけて、止める。<セツナ>への信頼に嘘を吐くことも、彼の存在との約束を破ることはできなかった。
 手は回してくれていると言った。
 その完遂率への大いなる自信を疑わないことは、フレムにとって当然のことだった。
「セディールさんと話がしたいのですが……」
『了解しました』
 歯切れ良く返った返事を、わずかな沈黙が継ぐ。
『無事で何よりだ』
 本当に久方の、冷静な声だった。いつかも−−こうして応じてくれたことがあったと思う。あの時にはもう、この冷たく固そうな声から優しさを酌めるようになっていた。
「あの、セディールさん、実は……」
『クラウナートのことか』
 先んじられて、詰まった。何故知っているのかと思いかけ、先刻の会話を思い出す。
「<セツナ>からダイレクトコールがあったんですか?」
『いや、ペントイルが連絡をしてきた。やっかいな事態になっているようだ』
 他人事口調のようだが、真摯に据えた音が敷き込まれていて、フレムは壁に当たった背を伸ばした。
「クラウナートさんの何がそのような……」
 <セツナ>との会話から推定するなら、クラウナートは<セツナ>と近しい存在と言うことになる。クラウナートはAHだ。<セツナ>はUPCAのメインブレイン。それだけなら接点はまるでない。形や質は違えどニュートラルネットワークに支配されていると言うことくらいだ。だが、<セツナ>には数多の謎があり、科学者の口に上るのも滑稽なはずの迷信めいた噂も流れていた。クラウナートもまた、尋常なスペックのAHではないことだけはわかる。
 何が違い、何が同じなのか。
『わからん。<セツナ>もその辺の説明はしなかったそうだ』
 避けた理由もまた、<セツナ>の根幹に深く関わる事なのだろうか? と思いかける。
 −−このままでは、いずれ君は知ることになる話の一抹だ。興味がないなら、忘れたらいい。
 <セツナ>自身、今回の事態は予想外だったのだろう。未来に至るまでの利害を容易に数字ではじき出すよりも慎重に−−自己保全を優先し、敬遠するしかなかった。
「そう、ですか……」
『クラウナートはデューイが救出してくれるようだ。私はお前たちを回収したら、クレストールで合流する』
 デューイの名をまた聞くことになるとは思わなかったが、同時にその名のもたらす頼もしさにフレムは嬉しい驚きを覚えた。
「そんな、簡単に……?」
 あまりにこともなげに聞こえて、戸惑いを隠せなかった。いくらエクラスハンターでも、相手はコバルファなのだ。
『あいつは、できないことは言わない』
 セディールの声はしかと強く、同業者だからこそわかるデューイの腕への信頼だろう。フレムが<セツナ>に寄せるものと質は同じだと思った。
「わかりました。それでは、私たちは……」
 ノビア・セントラル宙港内にあるコバルファ貨物管理センターの内面図情報は入手できている。メグリンよりはさすがにシステムは柔らかい。それでも<D-α>であることには変わらず、管理区域を出るまでのルートの試案を巡らせる。“外”に出れば、ゴールだ。未だリスクの高い道のりを経らなければならないのだと慎重を課す。
『私は一般のポートを使用する。コバルファは南端だから、上に上がってもらわなければならん』
 望めば、離発着者を厳密に選別する場所への着陸も可能だが、そうすれば“目立つ”ことになり、<D-α>の目に触れる危険性を自ら招くことになる。いずこであろうと、どこまでごまかせるかもわからない。このレベルはあくまで自己満足だ。ただ、<D-α>であろうと、ノビア・セントラル宙港のメインシステムであろうと人間の目は持たない。データしか見えないのだから、後はルエヴィトの能力次第だ。
 最良の策だとわかるだけ、フレムも素人ではない。
「わかりました」
『必要ならルイに訊くといい。現在以降、コバルファに通信を傍受される心配はない』
 数多の信頼で、事を運ぶ。安心して互いのできることを最善で成す。
「ありがとうございます。それでは、またお会いできた時に」
 アルカのことを訊こうと思ったが、やめた。じきに、会える。少女はクラウナートのことは知っているのなら、強い依存とも言える深い信頼を青年に寄せているだけ、ショックは大きいだろう。乏しい表情に如実に表れるとは思えないが、また同じだけ、巧く慰められるとは思えなかった。クラウナートの危地に胸の内を痛めているのは、アルカだけではない。
「おっさん、なんて?」
 通信が終わるまで黙っていたリーンが伺ってくる。
「ノビアでの合流場所の確認よ。コバルファの区域を出るまでは私たち二人しかいないから、頑張りましょう」
「うん……」
 現実認識能力は大人並みな少女は小さく頷いた。緊張に頬が固い。
「あの……さ」
 口ごもり、胸の前で合わせたシーツを押える指をもぞもぞと動かす。
「何?」
「服、どうにかならないかな。さすがに俺、この格好で空港の中歩けないよ」
 切実な問題だ。
「何とかするわ」
 着けば、勤務者の更衣室はあるだろう。サイズは合わないだろうが、その辺は我慢してもらうしかない。


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 何処が痛いと、ピンポイントで示せない不快さが全身を覆い尽くしていた。短絡に言うならば、気分は最悪だった。
 最初よりは、現実に近い場所にいる。そのことは、どうにも身の置き所のない今に一番辟易をしている神経が敏感に捉えていた。もっと強い覚醒を促す事を頭は指示しているが、体の方には聞く気がない。思うように動かない−−それは夢うつつでぼやけた認識ではなかった。軽くない負荷を受けた体が自己復旧を優先している。クラウナートとしては自覚は薄いなりに、「やばいならもっと先に言え」と己の体に無茶な罵りを向けるしかなかった。
 瞼を閉じているはずが、夢とは別の視界が開けたことに気づいたのはその時だった。蒼い−−今まで見てきたどの空よりも深く、リボトリールで見た美しい海よりも澄みわたり−−ふさわしいはずのうららかな陽光はなく、薄暗さを感じた。奇妙な空間だとしか認識できない。知識として経験のない感覚だったからだ。
 つ、と光りが瞬いた。それでも、目を射す刺激はない。この青深く、澄明な美しさでありながら薄暗い世界で強い存在感を示すそれから、目を逸らすことができない。
 −−何だ、てめえ。
 こんなちっぽけな光りから何故目が離せないのか、と理解できない腹立たしさをぶつけたところで、光りが瞬いた。笑ったように見えて、怒りが神経の先をちりちりと灼く。
 −−気が短いな。
 幼い少年の声だった。光りが声を発し、ため息を吐いたことには何の驚嘆も伴わなかった。
 −−てめえは何だって言ってるだろうが。
 正体を重ねて問えば、肩をすくめられた。ような気がした。光りはそこにあるだけなのに、“見える”。
 −−その問いに答える義理はないよ。そうだな。フレムの知り合いって事にしておこうかな。
 −−UPCAの奴か。
 ちっと舌打ちをした。現の知覚が曖昧ながら、それ以外の感覚が冴えている気分だった。
 −−君にしてはなかなか賢明な読みだね。
 −−俺のことを知らないくせに勝手な評価するんじゃねえ。
 −−君は僕のことを知らないだろうけれど、僕は君のことはよく知ってるよ。
 優越に満ちていなかったことで、神経を逆撫でられる事は免れた。 
 −−それで、通りすがりにわざわざ挨拶に来たってのか。
 自分のコンディションも、こうして話しかけている存在にも苛立ちを引き出され、逆に神経が鈍磨しそうだった。確かに腹は立っているのだが、投げやりな気分にもなる。
 −−僕が来たのは、君に忠告をするためだよ。
 新たな苛立ちで気分を改めようにも、こめかみの重さが強くなっただけで終わった。どういう嫌がらせか、現状は自分を落ち着かせる親切心が皆無なようだった。一方で、目の前の不定型な光りとして在る人物に、いつもの他への警戒心を誘われないことも認めた。
 腹の内を宥められていないのは一緒なので、フンと鼻を鳴らす。青年なりの促しの表現に、光りが茫洋とした明滅を返した。淡く重なる−−少年の姿に目を細める。
 −−今後は時空への干渉はやめるんだ。これは君だけではない。この世界全体に影響を及ぼす問題になる。
 ただ厳しい声質なら、クラウナートはまたも鼻を鳴らして一蹴したところだろう。だが、頭の内側にまで入り込んでくる不思議な感覚に、眉根を寄せた。
 本当に、この人物は何者なのか。
 疑念がぐずぐずと胸の内でくすぶった。口にしたところで、まともな返答が期待できないと何処かでわかっている。諦念ではない。
 −−君のように自己認識が甘い存在がこうした能力を持つことは、危険性はただでさえ高い。
 居丈高ではなく、諭す気もあまり感じられない。本来の目的、意思がよく見えなかった。
 −−俺のことを大層知ってるらしいからな。言いたいことだけ言って、それでおしまいだろうが。俺には肝心なところはぼやかして取りあえず言うことだけ聞いておけと言ってるようにしか聞こえねえ。
 自分でも大人しすぎる反抗だと、クラウナートは喉の奥で苦虫をつぶす。
 −−君自身、それでやってこれたんだろう。源を知らずとも、これまで生きてきたんじゃないか。
 それを何故今更? と言葉裏に問われ、今度こそ感じ取れた揶揄に、クラウナートは反感を堪える努力はしなかった。
 −−うるせえな。今まで知らなくてすんだから、この先も知らないままでいた方が俺にとっていいことだと、赤の他人のてめえがどうして判断できるんだ?
 青年にしては穏便な言い返しだった。そうさせるだけの無為の力が、目の前の存在にはある。認めたくなくとも現実は偽りを知らず−−蒼い空間の中で光りが微笑んだ気がした。錯覚に重なる錯覚−−幼い少年の姿が幻像のような透明感でもって、実と在る事を認める。
 −−君が僕と一つ約束をしてくれるなら、いいことを教えてあげるよ。
 怜悧で澄ました声はそのままに、悪戯を思いついた楽しげで幼い口調に、クラウナートは顔をしかめた。相手の言葉をそのまま素直に受け止められる性根ではない。
 −−いいことってのはてめえの基準じゃねえのか。
 −−疑り深いね。なるほど君は人間らしいよ。
 笑みが深まる。同時に、嘲りと悲哀という相反するものが混淆した奇妙なおもてだった。
 −−一般論から言っても、知識は多い方がいいだろうし、必要か不必要かの取捨選択はその後する作業、君次第だ。君の言うとおり僕基準の“いいこと”ではあるけれど、悪い話じゃないと思うよ。まあ、無理にとは言わない。僕との約束による心理的な拘束力を弱めてしまうけれどね。
 最後は、残念そうにため息。茶化した演技としか取れず、そこに深刻さは薄い。
 −−どっちも、俺が知らなくても良かったことで、俺がする必要もない約束だという可能性もあるわけだろうが。
 クラウナートの減らず口に、光りの中の少年は肩を竦めた。無理に大人ぶった仕草をしているようで、斜に構えた雰囲気と相まっている。
 −−僕は寛容な方だけどね、実は後者は外せない。君が知ろうが知るまいが、これだけは念押ししておかないと、僕の気持ちが収らないからね。何、内容は僕がさっき言ったことだよ。時空への干渉禁止。簡単だろう? 望めば、他で十分補えるだけの能力があるはずだ。
 −−てめえが教えるっていうのはなんだよ。相応のものだってのか。
 −−君が実は知りたい、君の本当の正体を知るためのヒントをあげるよ。悪くないだろう。
 −−いいことじゃねえかもな。鏡を見て自分の姿を確かめなくったって生きていける。
 −−君の哲学を聴くのは、いい退屈しのぎになるだろうね。で、どうする? 約束できるかい?
 拒むことは簡単だった。今の感情に率直に従えば、一言で済む。だが、知りたいという欲求に完全に背を向けることへのためらいもまた、あった。
 −−時空への干渉といっても、今後止めてもらいたいのは<停止>だけだ。僕だって、流れを緩やかにすることは日常茶飯事だからね、今のように。
 −−戻す事はいいってのかよ。
 素直に傾聴している態度を取ることだけはプライドが許さなかった。
 −−無理さ。それは、いかなる存在であろうとできない。
 クラウナートの揚げ足とりに、少年は厳かな声で答える。決して曲げること適わぬ芯を通して言い切る音に、一時でも屁理屈をこねる気を削がれた。
 −−てめえは、なんで俺のことを知ってやがるんだ。
 問いの方向性を変え、そうせざるを得ない空気に従ってしまった自分にうんざりした顔になる。こうしてのんびり交わす会話が夢でないなら−−もっとも睡眠中に夢を見た記憶はついぞ無かったが、醒めた現はどれだけの時を過ごしているのか。この少年が言うことが真実で、時間の流れが違っていれば、実際は瞬き一回分しか経ていないかもしれない。ほとんど停止に近い減速を強いていても、停止でなければそれでよいのか。またも新たな揚げ足をしようとすればできた。だが、近しい力を持つ、奇妙な−−クラウナートの主観で奇妙な目の前の存在が“何なのか”を明かしたかった。無言であっても圧してくる存在感に臆しているわけではない。
 −−やれやれ、振り出しに戻る、だね。
 辟易を滲ませ、目を細める。未だ姿ははっきりと視認できないのに、何故か表情が読めた。
 −−君は物覚えが悪いのかな。僕がその問いに答える義理はないんだよ。義務も当然ない。
 −−答えたくないなら、はっきりそういえばいいだろうが。回りくどい言い方をするから、余計に相手をたきつけるんだと、てめえも学習したらどうだ。
 苛立ちをハンドガンに託し、精神を平定させる。どうせなら、目の前の諸悪の根元を撃ち抜きたい衝動も、手の中に納めた銃に押し込める。銃本来の目的外の方に役立っている現実を作成者が知ったらどう思うのか。知ったことではなかった。使えるものは使う。それが信念だ。
 −−君は何も知らなくても、そうして力を使える。
 静かな声は、不快感を敷き込めて響いた。
 おそらくは意識せずに混じりこんだのであろう、その証拠に、光りの中の少年が困惑に眉間を寄せる。嫌悪はクラウナートに直接向けられたものではない。近い何かを想起させ、本能から抱く感覚を押えきれなかった。そのような不安定な自分にとまどった顔をする少年は、ひどくか弱い存在に見える。
 −−僕には、教えてくれる者はいなかった。
 ぽつりと、独り言の小さな音。本来出す気はなかったはずのものに、少年は口を噤んだ。
 −−君が君のような能力でもって生み出すことができたものと、僕の存在そのものを顕わすものは同じだ。形在るものか、そうではないのか、ただそれだけの違いだ。実際のところ、はっきりとは僕も言い表すことができない。これが本当のところだ。
 思ってもいないほど饒舌になっていることに、少年自身は気づいていないのか。クラウナートは、黙って先を促した。下手に口を挟むより、こうした方が効果があると直感で察した。己に関わることに触れられることに警戒をしながら、他者からの無関心をも恐れる本心を偽れない。ましてや、相似した存在、共感を得られる可能性が高い存在−−クラウナートを前に躊躇している。
 −−コバルファも、UPCAの情報管理部門でも、材料無しに君が何者なのかは掴む可能性はゼロに等しい。僕自身、知ってもらいたくないのが本音だ。知らなくても本当に生きていけるもの……そういうものはこの世界にごまんとある、その中の一つだと線を引ければなお良いだろうけどね。
 自身も定められない端境に悔しそうな響き。とにかくも、何事に置いても婉曲を嫌うクラウナートは滑稽にしか思えず、口元をゆがめた。
 −−それは、あんたの願いだろ。
 蒼い光りの中で、また一つの光りが輝き、揺らめく。
 −−そうだね。
 否定もせず、不確かにごまかすこともなく、笑みすら含んで返したことが意外だった。それはクラウナートだけが感じたものではなく、少年は苦笑に変える。
 −−僕は自分で地雷を踏みたくないんだよ。臆病だからね。
 嘯いて、保っていた孤高は崩さない表情に自嘲が過ぎった。
 −−一般的な知識から言うなら、君の個体名、クラウナート・ファンレーンの本来の持ち主は死んでいる。これは知っているだろう?
 頷いた。不遜な性根ではあるが、知らないことを知っていると知ったかぶりをすることはしない。
 “貴方が、その名前の本当の持ち主であれば、生きているはずがないのです”
 タリオンのホテルで襲撃をしてきたAH−−DKCT105−XXXの科白を思い返す。もう随分と以前の出来事のような気がした。
 −−同姓同名だと言うには、君の外観特徴はその死亡した人物と似すぎている。瞳の色が違うことを除けば……今の少年の姿は当人そのものだ。まさにクローンのようにね。
 一からAHを作るよりも全くの複製を製造する方が課程が簡略化され容易だ。マイザックがクラウナートを−−<クラウナート>の姿をしたAHを製造した意図が気まぐれ以外にあるはずだと、青年にはわかっている。
 −−君の名前の本来の持ち主が死亡したのは、今から二十年以上前に起こった航宙船難破事故だ。これについてはUPCAの航宙機関関係のデータバンクを探せばすぐに見つかる。その筋では話題性に富んだ事故だったからね。
 初聞きの話だった。そう−−知らなくても生きていける知識だったからだ。認識を自覚して、ふむと息づく。
 −−大した派手な事故だったってことか。
 随分久しぶりになる質しに、相手は首をかしげた。
 −−事故自体は大きくはないよ。個人の船だったし、事故原因そのものも陳腐なものだし、被害者数は五人で生存者はなし。これだけなら、毎日何処かで起こってる。
 −−てめえが、UPCAのデータバンクと言うことになんかあるってことか。
 全宇宙で星の数ほどある航宙機メーカーはそれぞれいくつかまとまった連合に所属しており、特に危難関連のデータは共有している。それとは切り離され、独自の観点においてUPCAが蒐集した情報の方に重要度を置いた口ぶりを指摘すると、少年は手を叩く仕草をした。音はない。賞賛にしてはふざけた行為に思え、クラウナートは苦虫をつぶした顔で睨みつけた。
 −−公にできないことこそ、蒐集すべきものだからね。その事故には本当は生存者がいたんだ。
 −−マリオン・ヒベルナ・ファントレーンか。
 −−ご名答。
 にっこりと、出来の良い生徒に対する教師のように目を細める。今度は音無き拍手はない。褒められた感じは全くしなかった。
 このまま、再び黙って先を促す方が楽に決まっていた。この語り手は、寡黙な聴衆を望んでいる。自身と相容れない思いの言葉で水を差されれば、舌は鈍重になるはずだ。読めないが、察することはできた。この少年自身が言っていた存在の“近しさ”を別にして、クラウナートとよく似ている。他人の意見など元から聞く気はないが、気分を害してしまうことにかけては、並より敏感−−気が短いのではないか。
 −−マリオンはクラウナートの姉だ。その事故で、マリオンは生き延び、弟は死んだ。この事故自体と君の存在の発生との繋がりは僕にもわからない。その辺は、人間の色々と複雑な思惑があってこそだろうからね。僕が知るのは確固たる情報として並べられる事実のみ……君は、<アウトサイダー>という呼称を知っているか?
 脈絡を感じず、クラウナートは内で興味が揺らぐのを感じた。さっさと本題に入り込めばいいと、これも内で毒づく。
 −−さあな。部外者ってことだろ。
 ぞんざいな返答に、くすくす笑いが応えた。楽しそうで、何故か腹黒さを感じ取ってしまうことに、クラウナートは自分は被害妄想にだけは捕らわれないと自認する。
 −−実直な辞書じゃないんだよ。わかってていってるのなら、僕は君のことを気に入りそうだけどね。
 −−勘弁してくれ。
 本気の音に、嬉しそうな笑顔が見えた。やはりたちが悪い、とクラウナートは舌打ちをする。今度は巧く鳴った気がした。
 −−アウトサイダーとは、簡単に言えば、地球外生命体。地球から派生した生物とは全く異なった……地球の外側にある惑星系で発生した生態ということだ。
 −−興味ねえな。
 本心だった。
 −−君のような人間ばかりなら、この宇宙はもっと平和だったかもしれないね。
 クラウナートを知る第三者が聞けば、卒倒するような発言だ。
 −−広い宇宙、<アウトサイダー>は地球人が想像したよりも多種にわたって生存していることがわかったのはもう随分昔の話だ。地球人に巧く擬態できる世渡り上手もいて、判別が難しい種もいたし、特定の人間にしか感知することができない<アウトサイダー>もいた。マリオンは、その特殊体質の人間だったことで、事故の生存者となり得た。
 −−さみしんぼうな地球外生命体に助けてもらったってことか。
 −−僕も直接話したことはないから、孤独を嫌う性格なのかは知らないよ。会う気があるなら、確かめると良い。
 −−なんだと?
 −−マリオンは、ユニコンにある表向きはUPCA関係者の保養施設に隔離されている。
 −−妙な病原菌でもくっついたってのか。
 −−彼女が外界で存在することで想定される未来、人の畏れを誘ってやまないという意味では、逆に彼女がそうした人間の不治の病から隔離させられたと言える。
 人間という言葉が侮蔑の音で吐き出されたことに、クラウナートは論おうとしてやめた。面倒くさかったことが大方だが、少年の心情に親近感を覚えていた。時多く感じる、人間に対しての嫌気は深く理解できた。他のどの言葉よりも自然に染みいる。
 クラウナートは、マリオンの名前も、自分とは違う存在としてのクラウナートという名前も聞いた記憶はなかった。自分にはもちろん、相手にも必要ないと感じれば、一切知識を口にしないマイザックの性格は認識している。無駄を嫌うと言うより、自分がその瞬間興味を持つこと以外は知識として持っていることすら忘れている節があった。
 −−マリオンとマイザック博士は同郷だ。マイザック博士がUPCAに特待生として入学するまでの十六年間過ごした場所で、形はどうあれ親しい関係だったんだろうと思われるね。事故後治療のため収容された病院で面会が一回。その後移送された施設−−ユニコンではない、高度医療施設に収容された時に一回。それ以降は博士との接触は記録にない。マリオンは事故後は外部とのいかなる手段でも接触は禁じられていたからね。その二回の面会時の会話内容も記録されていない。前者は致し方ないとして、二回目の時はするべきだっただろうが、していなかった。
 つらつらと情報をつらねて、おそらく目の前の存在が知り得るのはまさに“情報”として保管されるべき形に整えられたものであり、雑多さはない。
 −−する必要があったのに、できていなかったんだ。僕が止めさせることもできたけど、意外に頑固でね。
 ふっと、光りが黙した。静かな面をした少年の姿が淡く現れる。幻像のように不確かで、存在感は実像と変わらない。今のクラウナートと大差ない年頃の容姿で、ひどく大人びた面差しをしていた。醒めた表情から冷酷さが取れる時、そこに幼さはない。
 −−<理体>も、おそらくその時に譲渡されたんだろう。
 理体、とクラウナートは口の中で嘯いた。随分と昔、マイザックが言葉にした。後にも先にも、一度だけ。
 −−クロノスってのは何だ? サトゥルヌスじゃあねえだろ。
 −−君が古代神話の知識を持っているとはね。ああ、これは僕の思いこみだから失礼だね。
 少しも悪いと思っていない口ぶりは聞き流す。口の割に悪びれない人間は周りに少なからずいた。その中にクラウナートは自分を含んでいない。
 −−クロノスというのは俗称、レポート上の隠語だ。今までの話で大体わかるだろう?
 流れゆく時間という意味を持つクロノス(Chronos)は、ギリシア神話の時間の神の名称だ。象徴的なものであって、いかなる能力を持つ神だったかは知り得ない。だが、そうした隠語をつけた研究員たちの認識の元は、時空への干渉だろう。
 −−そいつが、<アウトサイダー>だってのか?
 とりあえずの再確認の問いに、少年は失望した顔になった。そういう顔をした気配を感じた。質しにしても、もう少し気の利いたものが返ってくると期待していたらしい。
 −−そういうことだね。
 そこで、少年は他へ意識を逸らす仕草をした。
 −−タイムアップだ。僕は構わないけど、これ以上は君の方に無理がかかる。 
 白く瞬く視界。明滅する光りは、紺碧の空に走る稲妻のようにも見えた。
 −−続きは、君を助けに来てくれる者に聞けばいい。なかなか賢い人間だから、僕よりずっと親切に説明してくれるだろうね。
 微笑み、上がった口の端は皮肉げだった。
 −−もう二度と会うことはないよう、今後は大人しくやって欲しいね。よろしく頼むよ。
 −−頼まれる義理はねえな。だが、二度と会いたくねえという点では大いに賛同してやるよ。
 今度は本当に微笑んだ少年の姿がその場に溶ける。
 白く濁っていく、そう評していいほどに占めていく白々とした明るみは、蒼い空間の美しさを穢していった。
 


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 輪郭を完全にたどれない、ぼやけた視界の中でまず認めたのは、紅だった。その色だけは鮮やかに、さらなる覚醒を促す作用をもって視覚を突く。
 先刻まで奇妙な場所に感覚が慣れていたためか、はるか高い位置からの照明もまぶしく、目を細めてクラウナートは現実と繋いだ。
 ため息を一つ。
 自分の置かれている状況よりも先に、自分を見下ろす複数の視線に辟易する。警戒、緊張−−いずれも、本来クラウナートの方が抱くべきものを肩代わりし、銃口だけは意地のように頑なに向けられていた。
 両手首に膝と足首の三カ所、上半身は腕もろとも強硬なワイヤーロープで巻かれ、床に転がされいた。本来これは貨物の梱包用のものではないかと、うんざりする。頭の芯がだるく、即座に逃走へと繋ぐ反感が沸いてこない。
 据えられていた蒼い瞳が、作り物ではない事を示すよう、まばたいた。しごく静かに、深すぎる青は、先ほどまでの不思議な空間の色合いとよく似ていた。冷たく、他への無関心を見せて、何処か寂しげな−−。
「クラウナート・ファントレーンね」
 寂しさをわずかでも重ねるなど勘違いだと打ち消すに十分な、冷ややかな声だった。無愛想ではないが、感情を込めることに飽いた音だ。それでも、艶は消しきられることない。
「他者への確認を口にするって事、は己の情報に自信がないと教えるようなもんだぜ」
 鼻先で笑おうと思ったが、言葉が明晰には遠く終わって格好はつかなかった。
 ラキアは腕を組んだまま、軽口には応えない。
 少しの間、にらみ合いと言うには無情動な沈黙を繋いで、クラウナートは質問を変えてみた。
「あんた、マイザックの何処が良かったんだ?」
 唐突さには動かされないにしろ、問いのたぐいが気に障ったらしい。ラキアの柳眉がひそめられる。あまりにわずかすぎて、注視していなければ気づかなかっただろう。横に引き結ばれていた唇が動いた。髪の色より深く艶やかに映るが、化粧の成果より、ほとんど地の色によるものだろう。
「あなたには無関係だわ」
 そういう自分にも無関係と思っていかねない冷ややかさだった。目線は動かない。ちらりと不快な色を過ぎらせただけだ。
「俺はあいつとは家族みたいなものだった。無関係ってことはねえだろ」
 心にも、そうした単語でまとめたことはない過去のことは棚に上げる。この場にマイザックやアルカがいなければ質しようがない事実だ。もっとも、同席していても、マイザックは否定も肯定もしなかっただろう。それこそ、どうでもいいからだ。他人との関わりに無関心なことでは、クラウナートよりも勝っていた。デューイはその中でも稀な存在だったのだろう。変人の域に達するほど卓越した頭脳の持ち主同士、通じるものがあったのかもしれない。そして、この冷徹なまなざしを崩さない美女も、そのようなマイザックの中でどういう位置にあったのか。純粋な興味があった。
 ラキアはそれでも答えを持ち出すことなく、手元の端末を操作をする手つきの方がよほど熱心だった。
「あの子の言っていたオリジナルとは、あなたのことね」
 この女性に於いては何らかの感慨が込められていたのだろう。だが、初対面に等しいクラウナートには察することはできなかった。
「知るか」
 自分の好奇心を惹かせるものでなければ、考えようともしない。その点では、ラキアもクラウナートも同じだった。このままでは質疑応答は成り立たず、平行線のままだ。
「俺はさっさとここを出て行きたいんだ。どうにかしてくれよ」
 自分の状況を真剣に顧みない、外見少年の科白に、周囲の研究員、警備員が顔をしかめた。呆れと怒りがないまぜになっている。あからさまに暴露しないのは、不可解な現象を引き起こした能力への本能的な畏怖のためだ。
「そうね。あなたが一般人であれば、いずこかの治安管理組織に突き出して、終わりだわ」
「その気はないって事か」
「一般人が、ここへ入ってこられるわけがない」
 決然と言い切る双眸の奥に苛しい光りが点る。
「大した自信だ」
 ラキアの自尊心を少なからず傷つけたと言うことでも、逃す気にはらなないだろう。ただそのことに憤慨することは愚かでしかなく、何故そうした事態になったのか原因を究明しなければ気が済まない。そういう人間だと推せた。
「カラータイプのオリジナルモデルがあるとは思わなかったわ。あの男が存在すら隠していた理由は何かしら」
「知らねえよ」
 実際知るよしもないことだけに率直な返答だったが、女性にとっては無視できない事項だったらしい。ここで初めて感情らしい、剣呑な光りが瞳にともった。研いだ視線を刺してこられても、クラウナートはにやにやと、幼くない不敵な笑顔で見上げる。
「おっかねえ顔しても美人だな、あんた。とりあえず、あいつは面食いだったということは確かだってえことか?」
 繋がりのない一つの結論に、ラキアは先刻よりもきつく眉根を寄せた。こうした類の発言は気に入らないらしい。
 お堅い研究者頭か、とクラウナートは内で鼻を鳴らした。慮えば、同じ研究者でも、一般人には理解できない独自の感性によるものであれ、マイザックやデューイはユーモアを理解する人間だったのだろう。口が減らないとも言える。
「それで、俺をどうする気だ? もう少し俺の体がでかけりゃ、あんたと二人きりで楽しい話でも出来そうだがな」
 ラキアが不快に思おうと、揶揄を押えられない。真面目な人間であるほど、からかうことが楽しい。クラウナートは実直な会話などする気は毛頭なかった。これほど不利な状況でさらに不利益を誘うであろうとわかっていても、やめられない。
「あの子が言うオリジナルの、詳細な情報をもらうことにするわ」
 捕縛された少年には拒否権はない。だからと、居丈高になるわけでもなかった。相手に伝えるための努力は少ないが、虚しい偽りで格好をつけようとしない。
 ラキアは顎でクラウナートを示すと、白衣の裾で空気を切るようにして背を向けた。無言の指示に従い、二人の警備員が強硬に捕縛されて芋虫状態になっているクラウナートを二人で担ぎ上げる。みな、言葉を発することなく、やるべき事は心得ているというように作業をこなしていく。貨物を施設内で運搬するためらしきポッドに少年が詰め込まれた時には、ラキアは退室していなかった。
 このままでは、ラキアの言下、新しい研究材料にされる。検査と一括りにした人権無視の処置が行われるのは明白だった。もっとも、AHに人権を認めようとする研究者はごく一部だ。国際法に違反するような企業に、そのような精神を持つ者がいるとは思えなかった。
 自分の身体能力の回復を期待してみたが、この拘束された状態をどうにかするには遠かった。精神の集中に於いては、もっと深刻と言えた。余計な口を叩くことには労を要さないが、体外に干渉するにはどうにも締まらない。そのことに、いつもであれば苛立つものが、それすら面倒に思える寛容な次第に、逆に諦念に近い心地が広がろうとする始末だ。それだけは、あってはならない。一刻も早くこの事態から脱したいのが自分の欲求だと、あり得ない感情を拭う。
 ポッドが動き出した。人間が乗るようにはなっていないため、初動の−−硬い床からの衝撃に頭部を打って顔をしかめる。
 ポッドの振動はすぐに収まり、空気の中を重く裂いていく音が内部に大きく反響した。広くないスペースに押し込まれているため、後頭部や背中、腰が壁にきつく当たり、ぎしぎしと痛んだ。痛みそのものよりも、窮屈さに反抗もままならない身体状態に苛立ちだけが尽きず生み出される。ハンドガンを手の中に納め、宥めていくが、発生だけは止まない。尽きないだけクラウナートの精神構造にも問題があるのだが、そうした自覚はない。今までに一方的な抑圧に耐えたことがないため、いっそ拷問だった。
 今の状態では肩を揺する仕草ができるだけ。押しつけられる各所が痛みを訴えて不快を募らせて終わる。
「チッ、もう少しお上品な運転しやがれ」
 口だけは滑らかに動くが、体はそれに倣わない現状に、クラウナートは体を小さく揺すった。忌々しく頬をしかめたところで、労いをかけてくれる他の存在はここにはない。もっとも、そのような同情は最も望まないものの一つだった。自由の利かない現在よりも、不愉快になる。
 いかにして難関をクリアするか。
 冷静に考えようにも、状況の深刻さを真っ先に認めることしかできない。夢か現か幻か定かでない蒼い闇の中で告げられた、“救いの手”が速やかにやってくることを願うのがもっとも気楽だ。他力に祈ることもまた、受け入れがたい不愉快さを伴うことではあったが。
 やがてポッドは減速し、上下に大きく揺れて停止した。とどめとばかりに強かに体をぶつけたクラウナートは口の中で吐き飽きた悪態を噛んだ。
 ポッドのハッチが速やかに開いて、荷物のように運び出されるかと不本意ながら待ちかまえたが、一向に開かず、近づく気配もないことに訝る。
 クラウナートは瞼を伏せた。
 分厚いが、防音装置が施されていない壁はあってないようなものだ。その向こう側へ、耳を澄ます。可聴領域を広げた直後の、軽い酩酊感を押しのけ、程なくして、人の声を拾った。
『システムエラーが起こっております。一部のサブブレインがダウンしていることを確認しました。現在原因を究明中ですが……はい、はい、ええ、他のラインからの臨時の補修は終えておりますので、こちらでの作業に支障はないかと』
 通信機に向かい頭を下げているのが見えそうなほど、媚びへつらった声音だ。
 周りにも数人いて、口々に言っているものを拾い上げて総合すると、研究所の電子制御に不具合が起こっており、繋がるべき部分が繋がっておらず、発生するエラーの報告が次から次へと届いているようだ。
 混乱しているのであれば、逃げる絶好の時機。普段なら、そう思ったら即行動に移っていたはずが−−現状に嫌気が差した顔で舌打ちをするだけに終わる。物理的に完全に拘束をされ、外側からロックをされ、どうにかなるならとうにしていた。
 古びて使えなくなったから新しい体にした。そう言う認識だっただけに、こうも早々に不自由な、そして屈辱的な状況に陥るような性能しか持ち合わせていないのかと何度目かの内なる悪態を吐く。あてのないものではなく、製作者であるデューイに向けたものであり、彼の青年に託したマイザックにもだ。
 このくらいの負荷で根を上げるとは。
 昔、そう、あの時も同じ事をして−−一度体を使えないものにしたのだとクラウナートは覚めるように思い出した。忘れていたわけではない。必要ないことを思い返すことを疎んじていたからだ。
 生まれたばかりの“アルカ”を連れ、研究所を抜け出したあの時−−当時の方がもっとはるか長く“止められた”。マイザックがやれと言った訳ではない。あの男の命令を聞くいわれはなかった。そもそも、そのような能力を自分が持っていると知らなかった。必要だと認識したら、使えた。いつもそうだった。
 研究所から逃亡し、エリミンで始まった生活は平穏でのどかで、そのような毎日の中で力を使うことは殆どなかった。別段隠そうともしなかったから、“アルカ”は「お兄ちゃんは魔法使いだね」と嬉しそうに笑った顔を思い出す。やろうと思えば、できる−−できないことはなかった。
 飼っていた黒猫が死んでしまった時、自分にもできないことがあるのだと認めた。死んだ者は生き返らないのだと道理を受け入れた。それでも、何処かで納得しきれなかった。それほどに、生き返って欲しかったのだ。
 −−仕方がない話だ。それこそ、お前が万能だったら、嫉妬深い神が放っておかないだろう。
 不信心な科学者の台詞は説得力がまるでなかったが、マイザックなりに現実を甘受するよう諭しているつもりだったのだろう。
 冷たくなった黒猫を抱き、泣きじゃくる“アルカ”の頭を撫でながら、曖昧な返事をした。涙は、出なかった。どうして出ないのか、不思議に思ったりはしなかった。
 −−パパが言ってたよ。お兄ちゃんは、悲しみを受け入れない人間だって。
 自分は“アルカ”だと信じ切っていたアルカの科白。
−−心を与えれば、それは立派な生命体だ。
 マイザックの口癖。あの男にとって、“生命体”とは人間のことを指していた。感情を生み出す心を持つ人為の命が“人”であるのなら、悲しみを感じない心を持つ自分は失敗作なのではないかと、論う気にはならなかった。人格の欠損した人間は少なからずいる。何も、マイザックの理想になろうと思ったことはない。
 −−カラータイプのオリジナルモデルがあるとは思わなかったわ。
 ラキアの隠しきれない苛立ち。知り得なかった事実の露呈に忌々しさを奥歯で噛みしめているかのようだった。
 研究所にいた時、マイザックは研究内容に関し、具体的には一切口にしなかった。元から、男の目的には興味はなく、たとえ好奇心を向けていたとしても、基礎知識のない相手に懇切丁寧に解説をするような気長い人間ではなかったことも、わかっていた。無駄なことに割く労力を惜しむに限ると言う精神は、クラウナートとよく似ていた。
 −−君が実は知りたい、君の本当の正体を知るためのヒントをあげるよ。
 青い光りの中の謎の人物は結局は最後まで明かさなかったが、少なくとも、マイザックが“クラウナート・ファントレーン”と言う死者を器の複製とした意図の端は掴めそうに思える。次いで、実際は雲を掴むように頼りなく、幻を透かすような不安定な心地しか残らない。
 知らなくて済むことなら、知らない方がよほど気楽に決まっている。けれど。
 −−続きは、君を助けに来てくれる者に聞けばいい。
 やきもきし続けるのは気分が良くない。この機会に問いただしてすっきりしてしまえばいい。
「くそ、助けに来やがるなら早く来やがれ」
 ありがたさ皆無な罵りを吐き捨て、身じろいだところで、外部の緊張度がいっそう上昇したことを報せる、警告音が響いてきた。

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