第三部 最強の剣と無敵の君

 明朝には、言い訳をつけて一には藤野家から帰ってもらい、すぐにモルガンの用事を済ませる事になった。なった、と言えど、誰もから等しい賛同がまとめられた訳でなく、お互いの譲れない区域すれすれをなぞって、無難に収まったと言うだけである。
 勇世と一が夕飯の買い出しから帰って来たのは、話が終わって間もなくというタイミングで、ちょうど翌佳も空腹を覚えたところだった。
 古橋は、カニクリームコロッケが特売日だったらしく、各自二個ずつ、後は肉コロッケ、野菜コロッケ、枝豆コロッケが一個ずつ。後は、勇世が味噌汁を作って、ご飯というメニューに相成る。育ち盛りだけに、メインディッシュとごはんが十二分に足りていれば、他はどうでもよかった。第三者にはくだらない話で盛り上がりながら、楽しい食事の時間を満喫する。ごはんもしっかりお代わりをし、満腹中枢が信号を出しても食べ続け、箸を置いた時には、しばらく三人とも動けなくなった。話の続きをして、腹がこなれるのを待って、一はリビングへと行く。後かたづけは兄弟の仕事だ。友人にやらせる気は毛頭無い。
 一が鼻歌交じりに間続きになっているリビングに行くのを見届けると、翌佳は声を細めて、アルトスたちとの話し合いの結果を伝えた。翌佳が語ったものだけでは、到底言葉が足りず、勇世は自分の推測と、質しを重ねて納得までに暇がかかってしまう。
「ったく、どうしてこう……」
 聞き終えた勇世は盛大なため息を吐き、洗い桶の中につっこんだ手を見下ろした。急に現実感が薄れていく感覚を覚え、ぶるりと首を振った。どういう事態になろうと、現実を愛する事は止めたくないと言い聞かせる。
「お前、アルトス陛下がずっと一緒でもいいのかよ」
「うん」
 懸念を促すために言ったつもりが、即答されて、眩暈がした。
「もう少し悩むとかしろよ」
 もう一度、ため息。
「だって、楽しいじゃん」
 能天気な笑顔と単純な言葉に、勇世は脱力感を堪えながら、意図が少しでも伝わるよう真面目な顔を作って、口を開く。
「こんな事が繰り返されてみろ、隠し通すのが絶対に難しくなってくるに決まってる。今日だって、相当やばかっただろうが」
 一だったから通じたごまかしであって、他の者であればうやむやにできるはずがない。疑念を誘わないはずがなかった。
「お前、なかなか良い事を言うじゃないか。アルトスをあたしに返してくれるというつもりなのだな」
 突然足下で少女の声が上がり、勇世はびくり、となった。食事の間もずっといたはずが、全く存在感の無かった黒猫が、兄弟の間にちょこんと座っている。
「別にそういうつもりじゃない。俺は、もめ事起こされて、気を揉んだりするのはいやなんだよ」
 良いように解釈されるのは気に入らず、邪険に吐いて、手は皿洗いを止めない。翌佳は、食器乾燥機から出した昼使った食器を片づけ終わり、手持ち無沙汰にレンジ台を拭いている。耳は弟と黒猫の会話に向けられているようだが、真剣さは期待できなかった。
「それに関しては、あたしも異議はない。余計な事に手間をかけられる事ほど鬱陶しいものはないからな」
 同意を示しているつもりらしいが、勇世とは論点が微妙にずれている。少なくとも、勇世自身は、自分の物差しだけで状況を判断をしないつもりだった。
「頼むから、姉ちゃんが帰ってくるまでに無事に帰してくれよ。俺が言いたいのはそれだけだ」
 最低条件で、絶対に外せない。口悪く言えば、あちらの世界がどうなろうと、姉の怒りに比べれば平穏なのだ。
 モルガンは、ふんと鼻を鳴らして応えない。
「楽しみだな、勇世!」
 調子を変えないのは、翌佳だけだった。気分が浮き立っているのが、笑みに緩む顔を見ればいやでもわかる。
「俺はお前が羨ましいよ、ホント」
 つくづく、性格まで生み分けられたのでは、と思ってしまう。悪い事ではないだろうが、喜ばしい事と言うには心労が大きかった。
 東の空が白く照らされ始めるまで、TV画面の中の戦いは続いた。勝負の内容は、一が三十勝二引き分け一敗、翌佳が二勝一引き分け十八敗、勇世が二勝一引き分け十五敗という結果だった。一の一人勝ちとも言えた。
 リビングにタオルケットを運んでそのまま雑魚寝をし、八時には起床。若さが有り余る年頃だからこそ、できる芸当だろう。一は簡単な朝食を兄弟と共に済ませると、自転車でのんびりと帰っていった。
「よし、じゃあ、行くか」
 一が角を曲がって消えたのを見届け、翌佳は嬉しさを押さえきれない様子で弟を顧みる。
「何でそんなに嬉しそうなんだよ、お前」
 何が起こるかわからないというだけで、暗澹たる気分を満喫している勇世は、呆れを向ける気力すらない。
「もしかしたら、アルトスのホンモノと会えるかもしれないだろ。見てみたいじゃん」
 もちろん、それだけのはずはなかった。
「ああ、そう」
 素っ気ないほど、力無い。
 翌佳の言いたい事は理解しながら、その思考回路は理解しがたかった。常識外れな人間ばかりの世界で、現実離れした現象の数々を好奇心だけで受け止められる神経を、勇世は持っていない。
「早く行って、早く帰ってこようぜ」
 早く帰る、と言う事は同感で、勇世は肯いた。
「で、どうやって行くの?」
 誰に聞くべきか、と戸惑ったのは一瞬で、足下の黒猫を見下ろす。
「ふん、ただの人間では自力でいけないだろう。あたしが連れて行ってやる」
 ぱっと眩しくも柔らかな光りが瞬き、黒猫の姿は消え、少女が一人立っている。二人が最初に出会った時の姿より、年齢が上がり、身長もほぼ同じまでに伸びていた。
「あれ、老けてる」
 言葉を選ばない少年の感想に、モルガンの柳眉がつり上がる。
「何だと」
 怒気が濃い。
「だって、最初、ちびっちゃかったじゃん」
 前は小学生中学年、今は十代半ば越え、というところだ。表情で印象がころりと変わってしまう。幼さの清らかさに、成熟した色を違和感なく溶け込ませた美貌は、人の目を引く魅力は同じままだった。黙っていれば、の注釈が付くのが玉に瑕だろう。
「カエルに、今のアルトスの−−器について聞いて、合わせただけだ」
 憤慨気味に、自分の不備ではない事を強調する少女に、翌佳はよくわからない顔で、勇世は複雑な顔で押し黙った。
 話に聞いた想像で、翌佳の年齢に姿を合わせたのなら、精神年齢がその程度だと受け取った事になる。
「ふうん、じゃあ、今のが本当の格好なのか?」
 わかっていないので気分の害しようがない少年は問うたが、鼻を鳴らされた。
「そんな事はどうでも……」
 言いかけたモルガンは、勇世を見、翌佳へと視点を戻す。すっと目が細まり、薄い笑みが少女の頬をかすめた。
「……カレドヴールフが別になっているんだったな。まったく面倒くさい事をするヤツだ」
 理解できないと言う顔で頭を振り、翌佳の胸の辺りを睨みつけるようにして続ける。
「これだけ側にいる存在であれば、例え分けていても共鳴する。そのくらいもわからなかったのか」
 翌佳の中で反論するアルトスへの答えらしかった。
「アホウどもが不相応にも剣を狙って鬱陶しいのはわからないでもないが。まあ、いい。お前に取っては繰り言だろうしな」
 モルガンが短く息を吐き、兄弟と相対する。怜悧に冴えた双眸に二人が捕らえられた、と思った次の瞬間、靴裏が頼りない感触を踏み、視界が白く輝いた。
 なだらかに揺れる草の海は青々とし、空の蒼さと馴染むような光景が目に鮮やかに広がっている。
「きれいだよなあ」
 柔らかな風を頬に受け、翌佳は感嘆の息を吐いた。
「そうだな」
 兄同様来たのは二度目だが、並んで眺める落ち着きを持てるのは初めてだった。広大さを全身で感じられる景色には、翌佳ほどでなくても感慨を素直に覚える。
 首を巡らせると、城壁が目に入った。
「キャラメル城だったよな」
 翌佳が頷く横で、勇世はツッコミを入れるべきか、一瞬躊躇う。
「……キャメロット城だろ」
 今後は記憶を確かにしてくれる事を祈って、指摘をした。兄である少年は、「そうだった」と間違えた事に恥じ入った様子はない。
「馬鹿会話はそのくらいにしろ。行くぞ」
 割り込んだ苛立ちの濃い声の主は、黒髪の美少女だった。声だけでなく、表情も不機嫌さが現れている。
「そういやさ、なんで、城の中にいきなり移動しなかったの?」
 不思議そうに問う。素朴で単純だが、的を得た質問に、モルガンはぐっと詰まった。
「魔力の理以外で構築されたものに干渉するには、呪文が多少なりとも必要になる。面倒なんだ」
 答える事も面倒くさそうに、明後日の方向を睨んでいる。
「うわ、すげー、アルトス以上の面倒くさがりなんだ」
 翌佳はと言えば、まるっきり着目点が一般人とずれている。勇世は隣で乾いた笑いを漏らし、翌佳の中では不満の声が上がっていた。
 −−アスカ、人聞きの悪い事を言うな。
「だって、本当じゃん。アルトス、剣出す時とか簡単にしてたじゃん」
 −−魔力が高ければ、省略する事ができるのさ。
 いつか、アルトスが「魔法は気合いでいい」と言っていた事を覚えているかはさておき、少年はふうん、と感心したように頷く。
「アルトス、外へ出ろ。中のヤツを呼んで中に入るのは面倒だ」
 腕を組んだモルガンは、姿勢だけでなく口調も尊大だった。
 −−人にものを頼む時は、もう少し物言いを変えたらどうだ。
「なんで、あたしがお前に言葉に気を遣わなければならない。ああ、まったく!」
 キッと眼光を強めると、掌を翌佳に向けて翳す。間近で炸裂した眩い光りに、兄弟は目を伏せた。
「めちゃくちゃするな。あまりやると、アスカのヤツに負担がかかる」
 アルトスが呆れに窘めを含めると、面白く無さそうに少女は鼻を鳴らした。
「フン、大層心配してるじゃないか」
「そりゃ、俺の宿主だからな」
 肩を竦めるが、自分の状況に辟易した風はない。
「さっさと自分の体に戻れ」
 声色が冷ややかになった前を、翌佳−−アルトスはさっさと行き過ぎた。そのまま城へと歩いていく。
「さ、中に入ろうぜ」
 促しに、勇世は仕方なしと言う歩調で倣う。
「あたしを無視するな!」
 モルガンも、立腹しながら追従した。もっとも、追従と言う表現は、少女自身は激しく拒絶する事だろう。
 踝の位置で揺れる草の波を踏みながら、三人はキャメロットの荘厳な城壁前に立った。正面門に翌佳が立ち止まった時点で、扉が開き始める。
「ふうん、外見が違っても反応するか」
 アルトスは、顎を撫でながら感心一頻りで肯く。
「お前に騎士の精神とやらがあると言うのが、奇妙な気がするがな」
「それに関しちゃ、無いな。俺が造り主と言うだけだろ」
 あっさりと受け流す。
「馬鹿馬鹿しい」 
 そう言って進みかけた前方−−城の方向から、青年が二人駆けてきた。
「陛下!」
 ガラハットとケイだった。
 立ち止まって、二人が辿り着くのを待ち構える。
「陛下……ではないですね、アスカ殿でした」
 ガラハットは、少女のような面立ちを申し訳なさそうに翳らせて、軽く頭を下げた。肩を並べていたケイが、ずい、と身を乗り出す。
「まったく、アルトスはまだ寝腐って……」
 焦りに追われるように言いかけた矢先、下の方でガツと鈍く固い音がした。
「な、な……」
 ケイは顔を苦痛に歪めた。狼狽えて、目の前の少年を見返す。
「どいつもこいつも人聞きの悪い言い方しやがる」
 底冷えのする眸に合わされ、ケイはあっと声を上げた。
「アルトス!?」
 驚きに次が続かず、表情も動かない。
「どうした、嬉しそうな顔したらどうだよ」
 ふん、と鼻を鳴らされた男は、じわじわと驚きを消していった。不審さを残しながら、「ふうむ」と息を吐く。
「確かに可愛げの無い口ぶりは、まさにアルトスだな」
 得心したように肯くケイに、翌佳−−アルトスの目は細くなる。不機嫌さが口を衝く前に、ガラハットが会話を継いだ。
「陛下、私たちには未だ全体を把握しかねますが、不穏な状況が訪れつつあるそうで……」
 冷静さをいつもより目減りさせたように、青年の目線は落ち着きがなかった。そんな態度を物珍しそうに見やって、アルトスは肩を竦める。
「言っておくが、俺のせいじゃないぜ」
 ちら、と目線をやられた少女は、ぷい、と顔を背けた。
「言っておくが、あたしのせいでもない」
「それは違うだろ。お前がどうせ何か焚きつけるような事を言ったに決まっている。でなければ、わざわざ俺を引っ張り出すような事にはならないはずだ」
 徹頭徹尾断言口調で言われ、モルガンは眉をつり上げて首を戻した。
「あたしじゃない。あいつが勝手に考えを発展させて、暴走しているだけだ」
「発端は、お前だろ」
 頑として、譲らない口調を崩さない少女に、アルトスは胡乱な目を向ける。
「いいや、違う」
 何を言おうと自分に非はないと言い切る決意が、しっかりと滲んでいた。
 見えない火花を散らす二人の間に言葉を挟んだ勇者は、ガラハットだった。
「陛下、此処で立ち話をすることもありませんでしょう。中へお入り下さい」
 促しに、門口でたむろっていた五人は、ぞろぞろと城へと足を進め始める。
「アルトスの体は無事か」
「はい。ミルディン殿の助言に従って、結界を強固に致しました」
 モルガンの横柄な問いに、ガラハットは従順な応じでもって答えた。
「ふむ、お前はなかなか出来がいい人間だな」
 ちら、と金髪の青年を見上げ、鷹揚に頷く。
「お前は、自分に逆らわない人間なら、いつもそうだろ」
 笑いを含んで茶々を入れる少年に、きつい眼光を向けたが、モルガンは口に出して抗言はしなかった。腹立たしそうに、口元を歪める。
 城内は、前回翌佳が訪れた時と同様、しんとした冷えた空気で静まっていた。人の気配が薄い廊下を、靴音を響かせて、奥へと進む。
 最奥部には、天井までの高さがある両開きの扉があり、五人が近づくと、滑るように音もなく開いて行く。門と同じ仕掛けがあるのだろう、と勇世は頭の隅で推した。
 扉を開けると、また廊下が長く続き、もう一つ扉を開けると、広々とした部屋に出た。床は顔が映る程磨かれた石床で、ドーム状になった天井の中央にある天窓からは陽光が線上に降り立っている。荘厳な雰囲気があった。
「あれ」
 勇世は、奥に並ぶ人影の中に、見慣れた人物を見つける。いるとは思わなかった人物が、そこにいた。入室者に気づいて振り返ったガウェインの傍ら、金色の髪を背に流したほっそりとした後ろ姿が佇んでいる。
「何で、ニムエが……?」
 ぼんやりと呟く声が届いたわけではないだろうが、うるさそうに見返った美貌は、誰が見ても不機嫌そうだった。
 ニムエは、勇世の驚いた顔に見向きもせず、別の方に視点を置いていた。見ているのは、モルガンだった。警戒に視線を尖らせ、じっと見据える。
「久しい顔だな」
 モルガンは薄い唇に笑みを載せた。友好的とは言い難い声の冷え方に、ニムエも同様に酷薄な笑顔を作る。
「それは私の言う科白だわ」
 はねつけるように言葉を返し、二人の少女の間に熾烈な視線のぶつかり合いがあった。
「? 知りあいなのか?」
 ただならぬ空気に、勇世は思わず声が小さくなる。
「ニュミエのおばさんは、はるか大昔、マクリールの恋人だったのさ」
 はるか大昔、のところが声高になり、ニムエがキッと睨みつけた。揶揄の意図は間違いなかったようで、アルトスは気にした様子はなく涼しい顔をしている。
「マクリール?」
 ニムエの怒りの表情を窺いつつ、勇世は疑問を押さえる事ができなかった。きっと、アルトスの中では、弟以上に熱心に翌佳が質問を構えているだろう。
「俺とフェイの、まあ、お前らでいうところの生みの親だな」
 正確には違うのだろう。何処がどう違うのか説明を受けたい気は、もちろん勇世にはなかった。
「マクリールは、ティル・ナ・ノグを継ぐ前は放浪癖が激しくてな、うろついている時にニュミエと会って一時恋仲だったらしい」
 恋仲、と言う古風な表現を兄の口からされると、妙にしっくり来ない気がした。
「ふうん」
 何故言い切らずに、推定口調なのかと疑問が過ぎったが口にはしない。一方で、ややこしい事に首をつっこみたくないという己の本能が、未だ揺らいでいない事に勇世はほっとなった。
「ティル・ナ・ノグの人間と知っていれば、ニュミエも別れたりしなかったんじゃないんかねえ」
 嘯くアルトスの声は決して大きくなかったにもかかわらず、ニムエはすぐさま反応をよこしてきた。
「うるさいわね。人の昔話はどうでもいいでしょうっ!?」
 一時のモルガン並みに憤った表情と声でもって、アルトスのそれ以降の言葉を断ちきる。よほど触れられたくない話らしい。
「ティル……ナ・ノグって、選ばれた人間しか入れない、住めないんだよな」
 いつだったか、ニムエの話を思い出し、勇世は確認するように呟いた。
「ここにいる奴らと、俺たちは根本的に種族が違う。マクリールの代までは、外との干渉は極力断って引きこもり人生を満喫する病んだやつらばっかりだったのさ」
 笑いを含みながら、蔑みが滲んでいる事を感じ取り、ちら、と勇世は兄を横目にする。
「ふうん」
 反応は曖昧に気が抜けるような相槌で終わり、アルトスは苦笑した。
「ユーセーは、興味はあるけど、あんま聞きたくなさそうだな」
「俺は、翌佳とは違うんだよ」
 幼児性が抜けてないと無情に判断したくなる程に無邪気な好奇心を抱く兄と反比例するように、子供らしくなく可愛げがない程に現実に固執している自分をいやという程自覚している。バランスという言葉を当てはめて良いのなら、自分たち兄弟は今の性格で釣り合っていると思いたかった。
「そりゃそうだ。双子でも、違う人間だ。考える事も違うだろ」
 同意を上げられ、勇世は驚いて傍らを見る。
 同じわけない、と言うアルトス−−兄の横顔は、別人のように静まりかえり、落ち着き払っていた。
「女同士の冷戦は続いてるみたいだが、本当に、何でニュミエのおばはんが此処にいるんだ?」
 不意に一番最初の話題に筋を戻され、虚を突かれた顔が並ぶ。例外なのは、当事者であるニムエとモルガンだけだった。
「ガラハット坊ちゃんが、そのバカを探してガッコウに来たところで会ったのよ」
 そのバカ、と翌佳を目線で示して、乞われるままに答える事が癪に障ったのか、ニムエは口を噤む。後を、ガラハットが継いだ。
「陛下に次ぐ魔力の持ち主と言えば、ニュミエ殿ですから。偶然会った事も運かと思いまして。グウェンフウィヴァルに頼るよりは、賢策と思ったんです」
 弁解を添えてしまう自分を恥じ入るように、青年は頭を下げる。生真面目な態度で一貫するガラハットの横で、ずっと黙っていたガウェインが口を開いた。
「陛下、私たちにもわかるよう、事情を説明お願いできませんか」
 丁寧な口調ながら、浮かんだ笑顔は不敵で油断無く、対するアルトスは翌佳の顔をいやそうに歪めた。
 モルガン以外の視線を一身に受けた少年は、眉をきつく寄せた。
「言っておくが、俺も被害者みたいなもんだ。聞くならフェイに聞け」
 言われ、傍らの黒髪の少女に幾つもの視点が移動する。
「まだあいつは来ていないようだからな。巻き込まれる前に多少は知っておけば覚悟もできると言うものか」
「もう充分巻き込まれている気がするが」
 ぼそり、とアルトスが指摘をしたが、届いて欲しい当人にはしっかりスルーされていた。
「あたしも今どういう状況に発展しているかはしらん。せめて、ということで、あたしが、アルトスを連れ戻す事になった最初の出来事の説明をしてやろう」
 トラブルの中心人物でありながら、尊大な口ぶりは揺るぎない。そのことに誰もがもの言いたげな顔をしたが、口に出せる者はいなかった。
 モルガンは長い黒髪を白い指で梳くようにして背に払い、腕を組んだ。
「この場で、あたしが誰かという事を知らない人間はいないだろうな」
「アルトスの、姉君ですな」
 ケイが再確認を提示するように言うと、少女は肯く。ゆっくりと、鷹揚な印象を与えて。
「あたしたちの住む地より遠くにあるシー(妖精の丘)にも、あたしたちと同じ種族が住んでいる事は知っているか」
 モルガンの視線が一巡するが、反応の声は上がらない。ニムエの表情が動いたが、ムッと口を閉じていた。
「マナナン・マクリールの兄弟がいるんじゃなかったかの」
 ゲコと鳴き声を混ぜながら、床の方から声が上がる。誰もが見れば、緑のカエルが、白い喉を膨らませていた。
「そいつの息子のセタンタってのが、フェイに言い寄ってんのさ」
 にやりと意地の悪い笑みを浮かべ、揶揄を隠そうともしない少年に、モルガンは視線で刺す。
「あたしは、しつこい男は嫌いだ。せめてアルトス以上に強くないと、あたしは男と認める気はないと言ってやったのさ」
 憤懣は口調にも露わにしていた。この時の怒りは、会話に出てきた“セタンタ”に向けられたものだろう。
「それじゃ、この世には男はいないって事になるぞ」
 ふむ、とアルトスが冷静な声で判断を示すと、
「あたしは別にそれで構わない」
 と冷淡に答える。どちらも真顔だった。
「それ、で……その、セタンタという方が、陛下に勝負を挑みに来ると、そう言う事でしょうか?」
 納得している姉弟を前に、ガラハットが慎重な面持ちで問いを向ける。
「そう言う事だ。あたしは、カエルが知らせてきたアルトスの死なぞ信じてはいなかった。何かあれば首根っこを掴んででも連れ帰 るつもりだったが……」
「予定が早まったという事ですね」
 ガウェインに後を継がれ、一瞬詰まったように瞬きをし、すぐに自を取り戻した。慇懃に肯く。
「俺の予定も入れて考え直せよ、まったく」
 呆れたアルトスのツッコミは、少女の鼻先で一蹴される。端からその気は無いという意思表示だった。
「アルトスが使った術で生存している事を確信したあたしは、同時に何が何でもセタンタより先にアルトスに会う必要があると決意した」
「何でだ?」
 問うて促しの声を出してしまった自分に気づき、勇世は、ハッと口を押さえる。
「アルトスの使った魔法を感じた時、違和感を感じたのだ。これは口で説明できるものではない。感覚的なものだからな」
 説明が面倒だ、とも顔に書いてあった。
「俺が体を棄てている事に気づいたんだろ」
 アルトスの言い換えに、モルガンは口元を歪めた。まったく、と零す。
「まさかと思い、来てみれば、厭な予感は当たった」
 苛立たしげに舌を打ち、目を細める。
「セタンタの馬鹿に、アルトスの体を壊されるわけにはいかん。だから、あたしは、アルトスを探した」
 それからの経緯は、各自推定で埋める事を強要するように、モルガンは口を閉じた。
「お前たちが知っているように、あたしら、ティル・ナ・ノグの人間は、お前たち人間とは異種だ。魔法を後で身につけるお前たちとは違い、あたしらは、生まれた時から魔法を“知っている”」
 面倒くさいといいながら、自分の事を語るのは口程に嫌いではないらしい。モルガンの説明はまだ止みそうになかった。
「それだけ、強大な魔力を持つという事ですね」
 真剣な顔で、ガラハットが相槌を打つ。他の騎士に比べても、真面目な態度を崩さない。父親であるランスロットになると、表情が動かないので、何を考えているかを窺えない状態だった。
「精神、魂、肉体全てに魔力が宿り、全てが揃わないと本来の力を発揮できない」
「普通は、体を乗り換えると言う芸当はできぬと思うが」
 ケイの常識に則った感想に、モルガンは興味を引かれたふりもなく、ちらとも視線もよこさない。
「あたしの話した事を聞いていないのか。お前たちとは違うのだ。自分たちの尺度で全てを測ろうとして、愚かさの上塗りするのはやめろ。うっとうしい」
 尊大に返し、翌佳へと向き直った。
「あいつはもうじき来る。その前に、戻れ」
 簡潔な命令に、少年は顔をしかめた。
「どうにも気に入らないな」
「お前が気に入ろうと気に入るまいと関係ない。お前も戻る体を失うのは厭だろうが」
 退路を断ってしまう余裕が、少女の顔に悠然とした笑顔を広げさせた。ますます翌佳の顔は不愉快そうにしかめられる。
「お前の思い通りってのが……」
 自分の口元へ上がってきたモルガンの手を寸でのところで押さえ、アルトスは目を細めた。
「癪に障るんだよ」
「どの口が吐いているのか」
 つねり上げる意思を未だ押さえない少女は不敵な笑いを漏らす。やれやれ、と諦念を込めて少年は首を振った。
「あいにくだが、俺には口は一つしかない」
 もの言いたげな複数の視線がアルトスから外され、宙をさまよう。床に弾かれる光りが眩しい。
 傍観者たちの心中は度外視で、モルガンは軽い所作で掴まれた手首を開放させると、少年の胸ぐらを掴んだ。唇の端をきつく上げ、笑みが凄味を増す。幼さの彩りも確かな美貌にはそぐわないようで、この少女においては馴染んでいた。
「お前は、器の持ち主との繋がりを強制的に外す事は危険だと言っていたが、あたしが本気を出せばできない事はない」
 自信に満ちて言い放つ。
「やる気か?」
「ああ、やる気だ。覚悟をしろ」
 にやりと、いっそ男らしい笑顔だった。黒眸が鋭利な光りを点した、と思った次の瞬間−−何の前置きもなく、事態は変化する。
 空気が急に重みを増し、漲る力を誰もに感じさせた矢先、翌佳の体が頽れた。糸が切れた操り人形のように、くたくたと崩れた。
「! あ、翌佳!?」
 真っ先に自分を取り戻したのは勇世で、兄の側に駆け寄ると膝を着く。ぐったりと床にうつぶせになっている体を抱き起こし、揺すってみる。
「おい、翌佳!」
 ぐらぐらと首が揺れ、数回繰り返されてようやく、翌佳の瞼が上がった。痛みを堪えるように、ゆっくりと外界との接触を持つ。
 ふわりと浮くように、翌佳の視点が上がり、自分を抱いている人間の顔を捕らえる。勇世は、ほっとなった。安堵しかけた。
「ユーセー……?」
「え?」
「あ? 何だ? アスカの体にまだいるって事か」
 不思議そうに目を見開き、翌佳の顔で納得したように肯く。
「何っ!?」
 愕然と、モルガンが声を上げた。
「ア、アルトスの精神を移したんだぞ、あたしは!」
 勇世の手を借りずに体を起こした少年は、今までにない狼狽ぶりを疲労している少女を見返った。
「そうは言われても……お前が失敗したんだろ。……ん?」
 ふ、と自分の胸に手を当てる。
「アスカのヤツがいねえ」


  「いてて……何がどうなってんの」
 奥から新たな声が上がった。若く張りがあり、美声と誰もが判断する響きを持つ声に、勇世以外が、ぎょっと発生場所を見返る。
 広間の奥は一段高い壇になっており、その上に石の箱が置かれている事に、勇世は初めて気づいた。今まで、騎士たちの体にちょうど隠れ、死角になっていたのである。よく見れば、それはただの箱ではなく、外面に精緻な彫刻が成されたもので−−棺のようだった。その縁に、内側から手がかかり、むくりと起き上がる影。漆黒の艶やかな髪が見え、顔は俯いていて見えない。
 誰かが息を飲んだ。誰も、かも知れない。
「ア……アルトス……?」
 ケイが呆然と視線を奥から手前へと行き来させる。他の者たちも、似たような表情で、奥の棺の方に意識が釘付けになっていた。
「俺はここだ」
 翌佳の声で、アルトスは胸を張る。
「翌佳……?」
 勇世は恐ろしさに声が震えそうになった。本気で恐怖を感じているわけではないが、不安が過ぎると懼れに変わるものである。
 棺の中の人物が、勇世の声に応えるように顔を上げ、棺の中でよろりと立ち上がった。長身はすらりとして無駄が無く、しかめた顔は少年と青年の中間の若さを備えたもので、同性にも息を飲ませる美貌だった。
「うー、いってえよ、勇世……あ、あれ? ここ、何? あ、あれあれ? どうなってんの!?」
 その外見には似合わないうろたえ方をして、平生であれば凛々しく澄んでいるであろう声が裏返る。
「翌佳……」
「妙な事になっちまったな」
 アルトスは、ふうむと漏らして顎を撫で、首を傾げた。その横でモルガンが憤然と声を上げる。
「妙な事だと! どういう事だ、まったく! あたしが失敗するなんて……あり得ない!」
「あり得なくても、実際起こってるじゃないか」
 声だけなら揶揄がないようだが、一笑に伏した気分を味わったように口元を歪める。向けられた当人には、嫌味にしか見えない。
「……そうか。お前の体に対する執着心の差か」
 少女は、悔いに眉をきつく寄せて唸った。
「好奇心、だろ。執着なんざ、薄気味悪い言い方するなよ」
 自分の身に起こった事でありながら、アルトスは意に介した風もない。
「え?? どういう事?」
 黒髪の青年は棺を長い足でまたぎ越え、騎士たちの視線を一身に受けながら、翌佳たちの側にやって来た。翌佳の前に立ち、まじまじと見つめる。
「お、オレがいるって事は、これ、アルトスなの?」
 これ、と両手で自分の体を示し、驚愕はすぐに楽しそうなものに変わった。瞬変と言っても良い早変わりである。
「背え高いんだなあ。世界が違って見えるよな〜。あ、鏡ないのかな、鏡」
 落ち着き無く周囲を見回し、棺のあった壇の後ろの壁にはめこまれた−−あくまで装飾用の鏡に駆け寄った。ぺたりと掌を押しつけ、まじまじと自分の姿を眺めている。一頻り観察した後、はあ、と感嘆の息を吐く。
「すげえ格好いい〜アルトス、めちゃめちゃ格好いいんだな!」
 美貌の青年は、目をきらきらと輝かせて肩越しに振り返った。
「当たり前な事言うなよ」
 ふふんと鼻で笑って軽く流しながら、満更でもない顔である。
「しかし、どうするのだ。これでいいのか?」
 ケイは腕組みをし、唸る。
「いいわけないじゃない」
 と、ニムエが鼻を鳴らす。
「しかし、私たちでは計り知れない術です。私たちにはどうする事も」
 ガラハットは、己の無力さに恥じ入るように悄然と肩を落とした。
「こういう事は、行った者が始末を付けるものではないですか」
 痛烈な物言いをし、ガウェインは肩を竦める。
「……」
 ランスロットは、騒いでいるアルトスの姿を持つ翌佳と、やる気の無さそうな翌佳の姿をしたアルトスを見比べ、無言で徹していた。
 天窓から覗く空は、明るすぎる昼の光に満ちていて眩しい程だった。見上げた勇世は、ふう、とため息を吐いた。
 自分の存在だけが、どうしようもなくこの場では浮いていて、そうした事を再確認するたびに、早く帰りたいと欲してしまう。
「勇世、勇世、アルトス、本当に格好いいよな〜」
 暢気な兄は、アルトスの体の中ですっかりはしゃいでしまっている。当分、落ち着きそうにない。
「そうだな」
 投げやりにならない程度に相手をするつもりが、ため息混じりで疲れ切った声になってしまう。
「退屈そうだな」
 揶揄を含んで声を掛けてきたのは、兄の姿をしたアルトスだった。目を合わすと、にやりと笑う。翌佳本人であれば、絶対にしない表情だ。
「そんな風に見えるのか? 俺は早く帰りたいんだよ。……あんたは、違うのか?」
 自分の世界に帰りたがらなかったアルトスの思惑を探るような目を向けると、ふい、と視線を外される。
「……帰る、か」
 ぽつりと落とした声はひっそりとしていて、不敵さは潜んでしまっていた。別人のように静まった横顔。
「そうだな。少なくともこっちにいるよりゃ、俺は気が楽だ」
 懐かしそうに目を細め、口元を歪めた。滲ませた皮肉は何処に向けたものなのか、勇世は怪訝になる。
「あんた、それでいいわけ?」
 止そうと思って、口を衝いて出た。眇めた目が向けられ、居心地の悪さを感じた勇世は他に言葉を変える事もできず、顔を背ける。
「いいんだろうな。少なくとも、お前たちと一緒にいた時の方が、俺は楽しかった」
「自分では何もできないのに?」
 論うようにつっこむと、低い笑いが漏れてきた。見れば、遠く懐かしいものへ馳せるように、視点は定かではない。
「俺は、アスカの意識と同化して、アスカになって世界を見ていた。普通の感覚で、普通に生活ができる、俺には夢のようだった」
 ああ、そう言えば、と勇世はカエル−−ミルディンの話を思い出した。会って間もない頃聞いたもので、あの頃は非現実な物事には関わりたくないと強く思っていたけれど。
 カエルが口にした、アルトスの願い。
 −−普通の人間に生まれ、普通の人間らしい生活を送って、普通の人間と同じ時間軸で生を終えたい。
 本当にこの青年の望みだったというのなら、今の科白は重く響く。
「欺瞞だな」
 滑稽だと呟いて、何処か儚げだった表情は打ち消し、すぐに不敵な笑みを取り戻した。
「ま、ごちゃごちゃやってこられて、俺のお楽しみを邪魔されるのは正直こりごりだ。火種はこちらで消しておくのがいいだろ」
「その、あんたの姉さんを好きだってヤツ?」
 踏み入った事だと察してためらいながら問うと、アルトスは軽く肩を竦める。
「ウザイ事この上ないが、あんなのがアスカたちの世界に来たら、どうなるやらわからん」
「そんなに、すごいのか?」
 今までも大概な人間ばかりだと思うが、何よりアルトス自身にこうも言わしめる人物というのは想像つかない。想像したくない。
「鬱陶しいんだよ。このことに関しては、フェイと全く同意見だ。あんなのを俺たちの……ティル・ナ・ノグの血胤に入れたくない」
「はあ……」
 険しさすら見せるアルトスに、勇世は間の抜けた相槌を打つ。
「アルトス! 何を暢気に話している。あたしの話をちゃんと聞いているのか」
 いつの間にかできた人の輪の中心にいたモルガンが、指を突きつけてきた。
「聞いてないに決まってるだろ」
 真顔で答えられ、悪びれもしない態度に、少女の美貌は凍り付く。周囲の空気も凍り付いたように冷え込み、勇世はむき出しになった腕を撫でた。
 モルガンは腕を組んだ姿勢で、静かすぎる白皙の中で瞳だけ力を漲らせていた。半端な眼力ではなく、アルトス以外は合えば石になるとでも言うように目を逸らす。
 向けられた当人−−アルトスは、眉を寄せるだけだ。
「お前の言いたい事は、聞いてなくてもわかる。俺を元の体に戻し直すって言うんだろ」
「まとめればそうだ」
 少女は重々しく肯く。それ以外に何がある、と言わんばかりにふてぶてしさもあった。
「大体、あいつ相手に俺が本気出す必要はないと思うが?」
 これにも、少女は重々しく肯く。
「それ自体に関しては、あたしも異論はない」
 大体、と継ぐ。
「お前があいつに負けるような不甲斐ない者であれば、あたしはお前をわざわざ迎えにいってなぞいない」
 己の力を誇るように自慢げに言われ、アルトスは厭そうに顔をしかめた。
「誰も迎えに来いって言ってないんだがな」
 少女の話にまともに取り合いたく無さそうな顔は、勇世の心情と似通っているものだろう。それでも、控えめな声になっているのは、モルガンに対する感情故のようだった。懼れとも、苦手とも取りがたいが、決して親愛がないわけではない。
「この、普通の子供と、お前では魔力の有無の差は言うまでもないだろう。お前が他人の体に居着けても、普通の人間がお前の体にノーダメージで居着けると思うか?」
「俺は普通じゃないからわからんな」
 けろりと答える。自慢しているわけでもなく、事実を述べているだけの淡々としたものだ。
「減らず口め」
 チッと痛烈な舌打ちをする。夢想的な程の美少女には不似合いな品のないいらえは、外観と歪みを起こす性格を如実に顕しているとも言えた。
「お前ほどじゃないさ」
 肩を竦め、にやりと笑う。見返すモルガンの視線が剣呑に研がれ、ふっと逸らされた。注意を強く引かれたように、意識をアルトスから外す。倣うように、アルトスも天を仰いだ。気配を探るように、兄の顔が真摯に引き締まるのを、勇世は不穏な気分で見た。
「何だろな」
 誰もが見惚れる風貌の青年は、無邪気な好奇心で弟の横に立つ。
「さあな」
 知らなければ巻き込まれなくて済むなら、知りたくもない−−本音が出そうになる。勇世は、きつく腕を組んで肩を狭めた。余計なものに自分の現実を壊されたくない、とでも言うように。
「来た、か」
 モルガンは、厳かに呟いた。逃れられないものを、毅然と迎え撃つ強さを讃え、美貌が冴える。
「……だな」
 対して、アルトスは素っ気なく相槌を打つ。先刻、一瞬見せた深刻さは霧消してしまっている。
 取り巻く騎士たちは、遅ればせながら近づく“何か”を感じるのか、緊張に空気を張りつめさせている。混じって立つニムエも、不本意さを顕しながらも、警戒に眉を寄せていた。
 すうっと辺りが暗く翳った。目に見えた変化に、翌佳と勇世はぎょっと身をわずかに竦める。見上げれば、白く輝いていた空は、薄い灰色に塗り替えられていた。
「あれ、天気悪くなってる」
 暢気な感想を翌佳が口にした直後、空気が大きく震えた。
「アルトス、もう逃げられないぞ、どうする気だ」
 モルガンに言われ、アルトスはかぶりを振る。呆れたように鼻を鳴らした。
「それはこっちの言う科白だ。大体、誰かさんが蒔いた種だろうが」
 二人が睨み合う最初の視線がぶつかると同時に、空気が白く瞬き、轟音が鳴り響いた。
 体にずしりと響く程の雷鳴の後、全ての音を取り払って対極の静けさが舞い降りる。その沈黙を壊さぬよう、幾人かの視線が頼りなげに辺りをさまよった。
 アルトスとモルガンだけが、しっかりと同じ方向を見て、同じように不機嫌な顔をしている。
「こうなったら仕方がない。アスカに俺のフリをして相手してもらうか」
「馬鹿な事を言うな。普通の人間で相手になると思ってるのか。どんな目に遭うと思っている」
 無茶な事を言い出す少年−−アルトスを、侮蔑に満ちた眼差しで睨みつけた。言葉の内容そのものに関しては、翌佳も勇世も激しく同感であり、部外者の自分たちをそれでも案じてくれているのかと、少女への印象を思い直しかける。
「カレドヴールフがある。俺の体なら、俺無しでも抜けるだろう」
「そうではない! いくらカレドヴールフがあれど、魔法抜きで太刀打ちできる相手ではないのだぞ。
 お前の体が壊されたらどうする!」
 決して、翌佳自身のみを心配したわけではなく、そのような事は端から頭にないらしい。懸念はアルトスだけのようだった。
 やっぱり、と言う顔で勇世は横を向く。翌佳はよくわかっていない顔だった。
「それにしても、何で俺が出なけりゃいけないんだ? お前が俺を守るという名目でやればいいだろう」
「そのような事、あいつが納得すると思うか。あんなヤツに、女の影に隠れるような軟弱者と罵られてもいいのか」
 焚きつける事を意図しているのは第三者的にも明らかだったが、受け流すにはアルトスの神経に障ったらしい。
「バカの言う事を真に受けて、頭に血が上るような低能じゃないんだよ、俺は」
 そう言いながら、眉間が、いつも以上にきつく寄せられていた。心中穏やかでないのは、腕組みをした指先が神経質そうに動いているのを見ても窺える。
 閃光、轟音、静寂。
 初めよりも、強く−−空気の重さは増しているようだった。
「恐ろしい力ですね。この城の結界、耐えられるでしょうか」
 ガラハットは白皙を愁いに曇らせ、呟くように不安を零す。横ではケイが唇を引き結んで、じっと一点だけを見つめている。頑固な表情は、自分の力ではどうにもならない事に苛立っているようにも見えた。
「本体はまだ遠いようだけど、この段階でこれほどの魔力を伝搬してくるのであれば、まずいわね」
 ニムエは辟易したように呟き、金色の髪を指で梳き流す。口ぶりは焦燥は少しも滲んでおらず、協力はしていても所詮は他人事だと割り切っているのだろう。
「どうすんの?」
 騎士側と、アルトスたちを交互に見やった翌佳が、誰に向けてでもなく問いを口にする。当然、誰からも、即座に反応はない。
 アルトスが、ため息を吐いた。
「やっぱ、アスカ、お前が出てくれ」
 思慮を重ねた故だと見せるように、気難しく顔をしかめて告げる。
「俺!? ムリだよ。アルトスのねーちゃんも無茶だって言ってたじゃん!」
 楽しそうだという範疇に、さすがにこの事態は入っていないらしい。横に並んだ勇世はほっと安堵してから、兄の姿をしたアルトスに対し疑念を言葉にした。
「アルトス、あんたは単に面倒くさいんじゃないのか」
「……人の解釈はそれぞれだな」
 当たらずも遠からずと言いたそうだが、勇世の目には図星としか映らなかった。
「心配するな、アスカ。あいつの扱い方は俺が伝えてやる」
「勝手に話を進めるな!」
 にこやかに−−笑顔だけなら少年らしい爽やかさで言い出すアルトスを、口早にモルガンが遮る。ご丁寧に視界をも遮るように眼前に立ち塞がる少女を、アルトスは何も解していない様子で見下ろした。
「いいじゃないか。お前はあいつを追い払ることができればそれでいいんだろ。どうせ、その場しのぎだろうけどな」
「駄目だ駄目だ! 駄目と言ったら駄目だ」
 駄々をこねる幼児のように声を張り上げるモルガンに、少年の瞳が細められた。ちらり、と鋭い光りが過ぎる。
「お前、俺を元の体に戻したら、これ幸いと出られないよう封印をするつもりだろ」
 違うか? と重ねられた少女は、ぐっと詰まったように首を少し竦めた。
 わかりやすい反応に、アルトスは口にしようとした言葉を躊躇わせる表情を見せた。何処までが演技で何処までが素なのか、第三者には見定められない微妙さで、少しだけ眇め、口を緩く閉じる。
 ふん、と小さく鼻を鳴らすと、翌佳の方を向いた。
「アスカ、ヤバそうだったら俺が出てやる。まあ、適当にでいいから相手してくれ」
 頼む立場でありながら、「出てやる」と言う恩着せがましい口調は歪みを起こしているのでは、と首を傾げたくなったのは、翌佳以外の人間であった。任せられた当人は、「えー」と気乗り無さそうな顔をするが、紛れもない好奇心がある。そのことに気づいたのは勇世だけである。
「案外、アスカのノリなら、あいつをあしらえるかもしれんしな」
「あたしにはわからん」
 むすっとした声がすぐ側からつっこんできたが、聞こえていないふりをしているのか、調子もそのままに続ける。
「いざとなりゃ……まあ、しゃあねえな、俺と交代だ」
「本当だな!」
 語尾に覆い被さる勢いで確認を向けてくる少女を、アルトスは胡乱な目で眺めやる。
「だから、何でお前が意気込むんだよ。俺はアスカに言ってるんだぞ」
 また、轟音が鳴り響き、空気が大きく震える。三度目にして、普通の人間である翌佳と勇世にも、不穏さが近づく予感を否が応でも感じられた。
「そんな事はしらん。あたしは結果について確認を取っているのだ」
 口を尖らせて、拗ねたような表情だが、声は頑として譲らない堅さだった。
「結果、なあ」
 起こってもいない事を現実よりも更に後ろに引っ張ったような物言いに少女の意地を感じ取って、苦笑する。
「起こりうる可能性が高い事象であればこそ、対処は事前に考慮しておかないといかん」
「言葉だけでは、綺麗に聞こえるな」
 乾いた笑い声を立てて、視線は明後日の方向に投げやられている。
「アルトス、そんなに面倒くさいの?」
 二人のやりとりを、皆同様見守っていた翌佳が、自分の立場の居づらさをようやく感じ始めたのか、落ち着かなげに表情が弱い。
「バカの相手はごめんだって事だな」
「俺はいいのかよ」
 先刻のモルガンに似て、口を尖らせて零すが、こちらは本気で拗ねている。だが、青年の端整な顔では、滑稽さが目立っていた。
「ま、俺を助けると思って頑張ってくれ」
「うー」
 納得しきれない顔で勇世を伺うと、弟は「俺を見るなよ」とつれない返事をされて肩を落とす。
「お前、本気でカレドヴールフを使わせる気か」
 モルガンのきつい視線に問われ、アルトスは軽く肩を竦めていなした。
「素手はムリだろ。アレがありゃ、魔法が使えなくても何とかなる」
「普通の人間が相手ならな」
「いくらあいつでも、いきなり魔法をぶつけてきやしないだろ」
「それはわからん。あいつは“そう言う”ヤツだ」
 本意ではないであろう事をさも当然のように、そしてアルトスにしかわからない曖昧な表現をする。対する少年は、顔をしかめた。
「お前が横から余計な事言って煽らなきゃ、の話だけどな」
「あたしにとっては、心外な言いぐさだな」
 全てに於いて自分が基準である事の確証だと、誰かが思った−−アルトス以外の誰かが。
 雷鳴が、怒りの剣を地に落とすような一閃を伴って響き渡った。天から地へと稲妻が突き立つように走るのが窓から見え、翌佳と勇世はぶるりと身震いした。
「城まで壊されたりしないのだろうな、アルトス」
 ケイが、不安を拭えない顔で訊ねると、少年は「さあ」と無責任な返事をし、天井を見上げる。
 つられるように翌佳たちも見上げた。灰色の雲は、先ほどより厚みを失い、向こう側の青空を透けさせている。
「もう、来るな。アスカ、外に出て迎え撃て」
「む、無茶いうなよ!」
 反論したのは、当の翌佳ではなく、勇世だった。増してくる不快な感覚が、本能的に危険信号を送ってきている。
「相手はアルトスと思って攻撃しかけてくるんだろ? 素人……じゃない、普通の人間と思ってないんだから、絶対にめちゃくちゃなことするに決まってる!」
 断言する少年に、アルトスは感心したように相槌を打った。
「会った事ないのに、よくわかるな。まあ、遠からず当たってるけどな」
 不穏当な事をさらりと言って、兄の顔でにこやかに笑ってみせる。中身が違うと、笑みの質も違って見えるものらしく、大人びた柔らかさでもって勇世を怯ませた。
「心配すんな、ユーセー。さっきも言っただろ。どうしようもなくヤバくなったら、入れ替わってやる」
「どうしようもなくヤバイ状態になるまで黙って見てる気かよ!」
 気を取り直し、論う姿勢を止めない事で考え直させようと、勇世は一歩踏み出て言葉を叩きつけた。
「勇世、いーよ。オレやってみるよ」
 楽しそうな声に耳朶を打たれる。
 耳を疑って、勇世はぎこちない動きで頭一つ以上高い位置にある顔を見上げた。目があって、我に返る。
「はぁ? 何バカ言ってんだ、面白そうだとか楽しそうで済む話じゃないだぞ。ヘタしたら大けがするんだぞ」
 弟の剣幕に気圧されたようにまばたきをしたが、翌佳はすぐに笑顔を作る。深く考えた末だとは到底思えない能天気な笑顔で、拳を握りしめた。
「なんかアルトスの体の中にいると、負けない気がしてきたんだ、オレ」
 うっとりと宙を見つめ、何かに誓うように呟く。見た目だけなら、崇高な歌を吟じる詩人のようにも見えた。あくまでも、見た目と声だけだが。
「うんうん、そうだろうとも」
 ふふん、とアルトスは肯いている。
 呆気に取られた顔で、交互に見やり、勇世は頭の中がくらくらとなった。これほど兄のために必死になっているのに、当の本人には全く通じていない。誰か、自分の意見が常識的に正しいと言ってくれる者はいないかと、儚い夢を願ってしまう。夢だと、わかっていた。だから、余計やるせなくなる。
「よし、アスカ、まずはカレドヴールフを出しておけよ」
「呪文は?」
「他の奴らも使うヤツでいい。我の内に在りし我の障碍を払えし鋭き光り、だな」
「ええっと……」
 打ちひしがれている勇世をさておき、アルトスと翌佳は打ち合わせを始めた。
「前も言ったが、巧くできそうにないと思ったら、剣に任せろ。剣の動きについていけばいい。お前は運動神経は良いからな」
 運動神経以外はどうなのだ、とツッコミを入れられる唯一の人間である勇世は、口にするのも虚しくて黙っていた。
「勇世、いい?」
 この期に及んで、それでも弟に伺いを立ててくる兄を、疲弊した顔で見返す。
「無茶すんなよ」
「任せろって!」
 返事は頼もしいが、実際の所は誰にもわからない。アルトスも、希望で占められている部分が多いのだろう、と勇世は冷静に見通した。見通せても、自分だけでは流れは変えられそうにない。
「アルトス、本当にこいつで大丈夫なのか?」
 モルガンは、勇世とは別視点から不安を感じて疑問を口にする。勇世と違うところは、止める気はないと言う事だ。
「大丈夫じゃなきゃ、俺は任せねえよ。いくら俺が面倒くさがりでもな」
「それもどうだかな」
 小気味よく鼻を鳴らす。
「じゃ、勇世、剣を出すからな!」
 きちんと断りを先にして来る律儀な兄に、勇世は諦めの境地で肯いた。
「我の内に在りし我の障碍を払えし鋭き光り、満ちた名に応満たし、強き力を象り、今此処に具現せよ!」
 呪文を声高らかに唱える姿は、ファンタジーの世界の勇者のように雄々しく、美しいものだった。あくまで、見かけと声だけなので、見守る人間で期待に満ちた顔をしているのはアルトスだけだった。
 勇んで、かどうかは不明だが、聖剣を片手にした翌佳の後を、ぞろぞろと他の者が付き従うようにして、城の外へと向かった。
 一人最後に残り、空しさと孤独感に抱き込まれようとした勇世は、諦めをため息に変えて吐き出して、一歩足を進める。
「あんた、帰りたいんなら送ってやってもいいわよ」
 誰の声か、と見れば、ニムエがいた。口を尖らせているのは拗ねている表情だが、目だけを見れば機嫌が悪そうだった。少年と視線がかちりと合うと、むっとしたように顔をしかめる。
「いたくないんでしょ」
「まあ、な。でも……」
 考え込む事でもなかったが、途切れさせる勇世に、少女は、呆れたように目を細めた。ほっそりとした指で絹糸のようにしなやかな髪を背に払う。
「馬鹿な兄を放っておけないってわけ!」
「そう言う事になる。俺がいなかったら、誰が翌佳の暴走を止めるんだよ」
 言いながら、自分も止められるとは考えていない。この世界で多数決で物事が判断される理がなかろうと、周りの人間の無茶さ加減には、一般常識しか持ち合わせない少年一人でどうこうできるとは思えなかった。
「できると思ってるわけ? あんたも能天気ね」
 ニムエも思っていないらしい。
 ちら、と勇世は金髪の少女を見る。もしかして、ニムエは、この中では比較的自分の心情を慮ってくれているのだろうか、と思った。
「何よ」
 少年の見る目が気に入らなかったのか、不機嫌さがさらに濃厚に押し出されて白い頬を歪ませる。本音を探らせないようにしているようにも見えた。
「あんたは、その、今来てるヤツの事知らないのか?」
 前を行く者たちに比べれば、はるかにゆっくりとした足取りで−−決して鷹揚に構えているわけではなく、消極さが現れているだけの遅さで、廊下を進みながら、ニムエに問うた。
「よくは知らないわよ。ティル・ナ・ノグ同様、シーも、こちらの側の人間にとっては、あんたたち並みに別世界みたいなものなんだから」
 知らない事を恥じる様子もない。プライドの高い少女にしては意外で、勇世は、「ふうん」と曖昧な相槌を打つ。
「名前は知ってるし、場所も知ってるけど、誰も行った事がないってわけか」
「そういうことね」
 付き合い程度の、軽い返事。
「でも、アルトスのことが、ティル・ナ・ノグの人間だってどうしてわかったんだ?」
「自分で言ったのよ」
 当然の、揺るがない真実を口にしていると思うには、勇世にとっては拍子抜けするような適当さだった。
「まさか、そのまま信じたわけ?」
 まさか、と呆れてしまう。
「疑う余地がなかっただけよ」
 確かに、あの容姿で、聖剣を携え、強力な魔法を行使されたら、信じざるを得ないだろう。否定するだけの材料がなければ、そうするしかない。
「ニムエって、アルトスの事好きなのか?」
 ふと、口を衝いて出た。
「な、何馬鹿な事言ってんのよ!」
 肩を思い切り突き飛ばされ、勇世は壁まで弾き飛ばされるのを何とか堪えた。
「全く人がせっかく付き合って話してやってるのに、バカじゃないの。やっぱりあの兄にしてこの弟ありよ。ありもしないこと言わないでよね、ふざけてるわ」
 独り言と言うには叫ぶように声を上げながらニムエが憤然と門を出て行くのを見送る。
 図星か、と勇世は自分の中で納得して、それだけでもう興味を失ったように押し込めて、ゆっくりとした歩調のまま、外に出た。
 さきほどまでの曇天が嘘のように、来た時同様、のどかなまでにさわやかな風が草原を駆け、空は鮮やかに青く輝いていた。
 「よし、アスカ。俺は結界の中から見守っててやるから、頑張ってくれよ」
 ぽん、と肩を叩いて励ましを向けると、再び城の中へと戻ろうとするアルトスに、翌佳は慌てた。
「え、な、何で?」
 てっきり側にいてくれるものだと思っていたのか、心細さが顔に出る。凛々しく整った美貌には、いささか歪みを起こす幼い表情だった。アルトス自身が“居た”時には絶対に浮かべないであろう顔を、物珍しそうに見ながら、少年−−アルトスは肩を竦める。
「俺が本体だとバレたら、話にならないだろ。フェイにこの結界を強化させたら、俺自身の所在はあいつには掴めないはずだ。そうだよなあ?」
 後半は、隣にいるモルガンに向けてで、じろりときつい視線が返ってきた。
「あたしは、別にばれてもいい。大体、お前が自分の体に戻る事が、一番簡潔かつ短時間で事を済ませられるんだ」
 一つでも自分の思い通りに進んでいないと気に入らないらしく、憮然と唇を引き結ぶ。
「まったく我が儘なヤツだなあ」
 アルトスが口にすると薄っぺらい響きにしかならない言葉に、勇世、ニムエ、ケイ、ガウェイン、その肩に乗ったミルディンが言葉にしない分意味深な目線をさまよわせ、地に落とす。
「お前の我が儘をあたしはさんざん聞いてきてやったんだ。このくらい、お前が聞いたって天罰はくだらんはずだ」
 どうしてわからないのか、とでも言うように、憤りに尖った音を叩きつけてくる。腹立たしさを向けられた当人は、けろりとしていた。
「お前の天罰はな」
 逆に揶揄を向ける余裕すら持てているように見える。少女の怒りはそのまま攻撃的な行動に直結しかねない危機感を感じているはずが、敢えて冷静に返し、受け流す。アルトスの意図なのだろう、とこの場にいる半分以上の者は思った。
 晴れ上がった空が、白く瞬く。
「もうすぐそこだな」
 ふむ、と遠くを見晴らすように目を細めると、まだ心細そうな翌佳を見返った。
「じゃあな。心配するな、助言はしてやるよ」
 誰のための行動なのか、すっかり遠くに置き忘れたように言葉を押しつけると、少年の姿をしたアルトスは城門の中に入っていった。つかず離れず、少女が付き添う。二人が門の内側に入るや、空気が濁るような、目に見えた変化が現れる。
「?」
 勇世が目を凝らそうとすると、すぐに白濁した“壁”は消滅し、何もなかったかのように門の向こうに城が見える。アルトスたちの姿はない。
「いないぜ」
「結界を張り直したのよ。ものすごく、強力なものにね。中の存在を、完璧に隠蔽できているわ」 
 他人を褒めなければならない事を口惜しそうに唇を歪め、ニムエは腕を組んだ。
「しかも、呪文も無しに何て。だてに、ティル・ナ・ノグの人間じゃないって事ね」
「ガラハット……さんも、呪文無しでできるんじゃあ?」
 ちら、とニムエの向こう側に立つ青年を見ると、視線に気づいたようにガラハットがこちらを向く。
「私は、全てを呪文無しで行えるわけではありません。それに、呪文を省略する分、集中力などを要求されますので」
 生半可な事ではないと言う意思表示に、謙遜も混ぜ込んで、ガラハットは少し笑った。困ったような、照れたような微妙な緩め方で、少女のような風貌がさらに好ましいものに見える。今までに勇世が幾度か見た−−剣を片手にし、敵を見据えた時の冷ややかな青年とは結びつかないものだった。
 空が、再び白く輝きを放った。
 騎士たちの間に緊張感が走るのを、勇世も感じ取った。ニムエも真摯に顔を引き締めて空を睨んでいる。
 一体、何処から−−。
 “接近”を察した者たちは、来訪者の姿を求め、わずかな変化をも見逃さないよう息を詰めた。
「うー、来るなら早く来ればいいのになあ、勇世」
 落ち着きを失っている翌佳は、不安はあっても、己の身の危険は頭には置いてないようだった。
「来ないなら、来ない方が良いに決まってる」
 勇世は、諦念に首を振った。
 何処からか空間を押し分けるようにして現れる強い力を肌で感じて、兄弟は空を仰いだ。
 同じ感覚というものが、自分の記憶の中にある事を、翌佳は正確に自覚ができたわけではない。ニムエとランスロットの争いで竜が呼び出された時、魔女グウェンフウィヴァルとアルトスの戦いで竜が呼び出された時、そのどちらのものとも似ている事を思い出せたわけではなかった。
「なんか……またドラゴンでも出てくんのかな」
 ただ、ふと思って口に出てしまっただけである。
「せめて、人間だろ」
 勇世の突っ込みは、既に反射の域のものだった。往生際が悪いと言われようが、頭では非現実的な事には関わりたくないと思っている。念じていると言っても良いだろう。しかしながら、こみ上げて止まないその心情は、肝心の兄にはわずかとも伝わっていない。
 青空から稲光。
 全員が息を飲み、今度こそ新たなる者の出現を確信した矢先−−
「ボクを出迎えるには、ギャラリーが少ないようだナ!」
 軽快な調子ながら、耳を塞ぎたくなるような大音声が響き渡った。ハウリングを起こしたマイクのように、きいん、という甲高い音がフェイドアウトして、空が白く瞬く。
「……む、何やつ!?」
 ケイが間の抜けた誰何の声を上げ、他の者は黙って視線を逸らさなかった。草原に降り立った−−降って沸いたとしか思えない人物から。
 アルトスと同じか、やや年少。それでも二十歳は越えているだろう青年だった。アルトスのように並はずれて整っているわけではないが、赤みを帯びた金色の髪が太陽の光に輝くのも手伝って、派手に見える容姿をしている。
「アルトス、にっくきお前にようやく会えて、ボクは一つの達成感すら感じているヨ」
 足場が良いとは到底思えない草地の上で華麗にターンをして見せ、きれいにウィンクをした上で親指を立てて見せた。言ってる事と友好的な態度が歪みを起こしている。
 だが、問題はその点ではなかった。
「……なんか、妙に……」
 勇世は見てはいけないものを見てしまった脅迫感に駆られ、顔を背けてしまう。見ないようにしても既に遅く、既知の者を彷彿とさせる青年に眩暈を覚えた。
「変なヤツだね」
 翌佳が素直すぎる感想を述べると、当の青年は片眉を上げて見せ、にこやかな笑顔を作ってみせた。よく見れば、少しも目には笑みが滲んでいない。ぞっと背を撫でるほど冷め切っている事に、勇世は気づく。おそらく兄は気づいてないだろうな、と勇世は確信した。
「フッ、アルトス、久しい再会だというのに記憶喪失のような物言いは止めるんだナ! それとも知らないフリをしてボクを無視しようって魂胆カ? 駄目駄目、そんな事はお天道様が赦しても、ボクが許さないヨ」
 びしり、と鋭く指をさされた翌佳はその指先に視点を合わせながら、不快そうに眉を寄せた。
「人を指で差したら駄目なんだぜ」
 真剣な顔で真剣に言い切られた青年は、きょとんとし、次に翌佳以上に不愉快そうな顔で睨みつけてきた。
「随分とお育ちの良い事を言うじゃないカ。人をさんざん指さして笑っていた事を棚上げするつもりカ?」
「えー……」
 ちら、と城の中を見返ったが、何もない。本当はいるのだろうが、こちら側にいる人間には認識できないようだった。アルトスの体の中にいる翌佳にも、姿は見えない。
「何処を見ている! ボクの愛しい小鳥にボクへの愛を目覚めさせるためにも、アルトス、ボクと勝負しろ、いいナ!?」
 漫画であれば、目元がキラリと光りそうな調子で挑戦状を叩きつけられた翌佳は、「はあ」と気の抜けた返事を零した。そして、しみじみと言う。
「うわあ、いい大人がなんかすごく恥ずかしい事を言ってるよ、勇世」
「……俺に振るな、俺に」
 同意を求められた勇世は一歩退いて、ご丁寧に両耳を塞いで他人のふりをしようとした。
挑発的なポーズはそのままに、アルトス−−翌佳と勇世を交互に見やった青年は、フンと小気味よく鼻を鳴らした。
「そいつはお前の新たなしもべと言うことカ。まあ、せいぜい群れでも作って王様気分に酔いしれるがいいサ。心配せずとも、ティル・ナ・ノグはフェイとボクが支配するからナ!」
 胸を反らし、嘲笑を放たれるのを見て、自分自身に向けられたものではないとは言え、さすがに翌佳も気分が良くない。そんなことを思っていると、頭の中で声が響いてきた。
 −−チッ、こんのアホ、言いたい放題言いやがって。
 同じ体を共有していないせいか、若干明晰さには欠けるが、怒りの程は十分に伝わってくる。 
「あ……」
 ここで、アルトスの名前を口にしてしまうほど頭の回転は悪くなく、ぼんやりと翌佳は視線をさまよわせた。意識は頭の中の声に向けられる。
 −−いいか、アスカ。お前は今俺なんだ。俺らしくしろ。でないとセタンタの馬鹿でも怪しんでくる。
「無茶言うなよぉ」
 目の前の青年の名前がセタンタだったと、翌佳はここで思い出した。
「うわっ、ちょっと待て!!」
 勇世の驚きの声に我に返るのと、青年、セタンタから黒い光のようなものが放たれるのと同時だった。
 事前の動きを見張っていたのか、ガラハットが勇世の前に素早く回り込み、翳した掌の間際で眩い輝きが弾かれる。
「あ、ありが、とう」
「どういたしまして」
 しりもちをついた状態で礼を言う少年に、ガラハットは肩越しに顧みて笑んだ。これだけで、一見冷ややかになりがちな面立ちに、優しさが引き立つ。
「危ないだろうが! 勇世に当たったらどうする!」
 翌佳は、弟の無事に取りあえず安堵して、セタンタを睨みつけた。だが、当の青年は、翌佳の怒りに痛痒も感じていない様子で、肩を小さく竦める。罪悪感も、当然と言わんばかりに微塵とも窺えない。
「なんダ、普通の人間なのカ? どの程度か試してやろうと思ったのにナ」
 つまらなそうに、零し、
「何でこんなのを……まさかと思うが、アルトス、お前、そう言う趣味に走ったのカ? いや、フェイの事は諦めてくれるって事なら、うん、ボクは別にそれでも構わないガ……」
 自分の考えに相槌を打ち、セタンタはうんうんと肯く。
「勝手な事グダグダ抜かすな、このアホ!」
 罵声にその場にいる人間の動きが全て止まった。セタンタも、きょとんとなって目を丸くしている。
 声の主は、凛々しい美貌の青年−−アルトスだった。
「あ、翌佳……え? アルトス……?」
 勇世は、他の誰よりも呆気に取られた顔で、中には兄が居るはずのアルトスを見上げる。怒りの滲む横顔は、どちらのものなのかわからなかった。口の悪さはアルトスのものかと思ったが、いつの間に入れ替わったのかと疑念がもたげる。
「ボクに向かってアホだと言ったナ」
「アホだからアホだと言ったんだ。馬鹿がいいなら、そう言え、選ばせてやるよ」
 尊大な態度でもって、にやりと笑うアルトスに、セタンタの顔は見る間に怒りで赤くなった。
「……何という屈辱ダ。この頭脳明晰なボクにそんな暴言を吐くのは、お前だけだゾ!」
 地団駄踏む勢いで語気をぶつける青年に、アルトスは−−先刻セタンタがそうしたように、問題外だと肩を竦めてみせる。
「よほど、お前の周りの奴らは目の曇りが激しいんだろうよ」
 相手の怒りを煽る笑みを見せて、鼻先で一蹴してみせる。ふてぶてしさでは、アルトスの方が上のようだった。
 向かい合うセタンタは、何処か鷹揚だった態度から一変させ、全身に憤怒を漲らせていた。
「ふん、口だけ達者だと言うことを目にもの見せてくれる!」
 手を振るうと、黒い光がセタンタの手から伸びた。黒く鋭く先を尖らせ、槍のような形を取る。
 形として、実体を持っていないようで、ゆらり、と陽光の中揺らめく。勇世の目にも、負の力を凝縮させ、鍛え上げた武器のような不穏さを見て取った。
 セタンタは、相手が迎撃体勢を取る隙も与えず、間合いを詰めてきた。今までの何処か飄々とした人となりと同じくしない、攻撃的な意思だけを磨き抜いた風となって迫ってくる。
「うわ、来た!」
 アルトスが慌てて手に提げていた剣−−カレドヴールフを、自分の体の前に掲げるのを見て、勇世は首を捻った。
「一体、どっちだよ……」
 セタンタの持つ槍は、一振りすると幾条にも分かたれ、紐のように唸ってカレドヴールフにからみつこうとした。剣が横に払われると、火花が散って、するりと黒い紐はセタンタの手元へと縮む。そして、一拍置いて、またじわりと先を伸ばすのが目に入った。
 口から心臓が出そうと言う表現を、今の自分は使ってもいいと翌佳は思った。剣の柄はこれ以上なく強固に掴んでいるのだが、緊張のあまり離そうにも離れないだけだ。
 セタンタのあまりの素早い攻撃に、咄嗟に体が反応してくれたものの、次はどう反射したらいいのか、と頭がいっぱいになる。以前の、ランスロットと剣を交えた時は、自分と共にアルトスがいると言うことで、何処か安心感があったのだが。
「フン、さすがに腕はなまっていないようだナ」
 不定形な槍を手にした青年は、余裕たっぷりの調子を崩していない。できる限り相手−−アルトスを見下す姿勢を取りたいらしく、胸を反らし、やや顔を仰のかせるという少々無理な姿勢を取っていた。
 そうしたことを冷静に、他人事のように見ることができながら、翌佳は、次はいつか、と緊迫しきって気を緩ませることができない。
 −−アスカ、そう気張るな。
 アルトスの声が響いて、翌佳は待ってましたとばかりに耳を傾ける。
 −−前と同じだ。剣と意識を同化させろ。ランスロットの野郎とやった時と同じだ。今度は、フラガラッハではなく俺自身の剣だから、もっとやりやすいはずだ。心配すんな、あいつのゲイ・ボルグが別れて見えるのは幻覚だからな。ホンモノは一つしかない。
 ゲイ・ボルグ、と翌佳は内で繰り返した。セタンタの持つ槍の名前だと言うことは、何となくわかった。
 −−魔槍だ。影の国の人間に作らせたもんだが、こいつは完全に御せられてない。槍本来の間合いくらいしか、確実な射程にできねえんだ。
 つまり、見た目ほど怖くない事か、と少年は判断をアルトスに向けてみる。
 −−そうだ。だが、油断はするな。魔力だけに限れば、ニュミエやガラハット以上だからな。
 結局は己の身の危険度が減るわけではないらしく、翌佳はがっくりと肩を落とした。
「どうした、アルトス、降参の意思表示か」
 肩を落として項垂れたのを見たセタンタの嬉しそうな声に、アルトス−−翌佳は慌てて、見た目は素早く顔を上げ、睨みつける。
「アホか。お前の相手してるのが馬鹿馬鹿しくなっただけだ」
 無闇に語気を荒げず、、やる気が無さそうに返す。
 −−アスカ、なかなか俺の演技は巧いじゃないか。
 感じ入って拍手しそうな口調で、アルトスは「大したもんだ」と青年なりに褒め言葉を並べ、そして続けた。
 −−だが、ま、相手は単純だからな、あまり焚きつけるなよ。
 少年としては、そう言う大事なことは先に言って欲しかった。
「口だけは達者と言うことを思い知らせてやるヨ」
 物騒な笑みを広げたかと思うと、槍を振るう。
 セタンタの槍から放たれた黒い筋の数を視認する事は、翌佳の人並み外れた動体視力−−本能とも言う−−でも不可能だった。自分にもっとも迫るものを避け、剣で払い落とすように弾く。それを積み重ねれば、全て排除できそうだが、休み無く次々と生み出されてくる凶光に真っ向から対抗し続けることは難しい。体力はともかく、集中力の維持は、少年には負担が大きかった。
 翌佳は、自分自身の意思では限界があると早々に諦め、カレドヴールフに意識を集中する。今までに、何度か呪文の詠唱時などに行ってきたことであり、思ったほど苦労はしなかった。
 右手が動いたかと思うと、カレドヴールフの滑らかな刀身が淡い光をまとう。横薙ぎに、上下に払うと、迫る黒い筋を細切れに“切り落とされた”。
 剣を持つ少年自身が呆気に取られたが、剣は向かってくるものがあれば手を休める気がないのか、鋭い舞いを止めない。
 剣に体を追わせるように、翌佳はセタンタの方に踏み込んだ。アルトスが言う、ゲイ・ボルグの射程内に入っても、自分の体に槍の光が当たることはなかった。剣はアルトス自身を守るように確実に、そして着実に凶器の目的を削いでいく。
「くっ」
 初めて、セタンタの顔に焦りが浮かんだ。
「どうあっても、ゲイ・ボルグの本当の力を見たいようだナ」
「見たくない、そんなもの」
 打てば響くように翌佳は自分の気持ちを素直に返したが、相手は聞く耳を持っていなかった。
 −−アスカ、結界を張れ。被害を無駄に広げることもないだろう。
 珍しく常識的な助言をするアルトスに驚いたが、セタンタからただならぬ−−今まで以上にただならぬ気配を察した翌佳は、大人しく従う。
「明けし界、我が意の聖なるを証し、偽りなくば、我が剣に下りてその力を具現せよ!」
 剣の力と、おそらくはアルトスの体に宿る魔力のおかげだろう、周囲の空気が張りつめるのを感じた。
 倣うように、ケイやランスロット、ガウェイン、そしてガラハット、ニムエも同じように結界の呪文を唱えるのが聞こえる。きいん、と耳鳴りが起こったが、非常に軽く、一瞬のことだった。
 −−あいつら全員が唱えりゃ、コイツが暴走しても大丈夫だろ。
 不穏なことをさらりと言うアルトスに、翌佳が突っ込む余裕はなかった。
結界を張り終えたのを待っていたかのように、セタンタは大きく胸を反らした。
「フン、どうやらボクの強力な力に恐れを成したようだナ。その選択はお前にしては賢明だと褒めてやろうじゃないカ」
 くるり、と手の中で槍を回し、唇の端がめくれる程につり上げて辛辣な笑みを作ってみせる。向けられた人間には、思惑通り馬鹿にされていると苛立たせるものだ。
「てめえの都合の良いように勝手に考えてろ、バーカ」
 翌佳は、アルトス風に反応を示す事に頭を巡らす事の方に必死で、個人的感情を込めて受け止める余裕はなかった。これは、幸いなのかどうか。
 応酬としては十二分に小馬鹿にした態度に、セタンタの眉がぴくりと上下した。気にしてない事を敢えて示すつもりか、鼻を鳴らして余裕を構えてみせるが、どうにも無理がある。
「オーケー、減らず口。ボクのゲイ・ボルグの強さをその命を代償にして思い知るがいいサ!」
 黒い光りが膨れあがった−−そうとしか見えない現象だった。青年の右手に握られた黒い槍は宙に溶け、浸食力を持ったかのように禍々しい黒さを広げていく。光りを食い尽くすように、実際辺りに落ちていく暗がりが支配力を強めていた。
 翌佳は右手の剣が急に重く感じ、怪訝に手元を見やる。刀身全体がぼんやりとした青白い膜をまとっていた。柄を掴んだ掌に、ちりちりとした痛みを伴って熱を感じる。
 本能的に、危険性を感じ取り、翌佳は剣に意識を集中し直そうとした。魔法に関しては、自分の頭で考えても仕方ない事をわかっているからである。これも本能的な反射と言ってもいいだろう。
「お前の張った結界の中であろうと、この力があれば、ボクはいつも通り、いや、いつも以上の力を出せるのサ」
 セタンタは、翌佳の内なる焦りを見て取ったのか、にやっと厭な笑いを見せた。
 −−はったりじゃねえな。どうもカレドヴールフの魔力を食ってやがる。
 アルトスの声が頭の中で鳴る。わずかに、ほんのわずかだが、切迫した響きがあった。
 翌佳の手が感じる痛みと、沸き起こる危機感は、カレドブールフ自身の抵抗の顕れだと、アルトスが口添えした。現状の詳細を説明されても、現実が変わるわけではない。
 何かアドバイスが続くかと思いきや、「ふうむ」と呟いて青年は沈黙してしまう。翌佳としては気が気でない。
 −−まあ、カレドヴールフを手放したりしなけりゃ、剣にかけてある防御魔法が守ってくれるだろ。後は、このバカの隙を衝くしかないな。
 実に簡単に言ってくれるのだが、どれだけ実現が難しいかアルトス自身もわからないわけではないだろう。肩を竦めたような気配が伝わってきた。
「て事は、アレだ。この剣をちゃんと持ってたら、怪我したりはしないってことだよな?」
 確認の際、口に出して問うてしまう癖は、この非常時にも抜けていなかった。
 −−限度があるだろうけどな。魔力がこれ以上食われる前にしたら……って、オイ!
 アルトスの科白は、驚愕に途切れた。
「よし!」
 翌佳は気合いを入れるように剣を握っていない方の左手で拳を作ると、セタンタの反応に図る間も持たず、相手に向かって走り込んだ。
 傍観者である勇世以下四人が呆気に取られる。あまりに無謀とも言える行動に、緊張のあまり翌佳がどうかしたかと思っただろう。
「でりゃあ〜!」
 左手を地に着き、野球で言うスライディングの要領で、セタンタの足下に滑り込み、足を払い込む。
「なっ!?」
 剣ではなく、肉弾攻撃を仕掛けてくるとは思わなかったのか、セタンタは飛び退く隙もなく、足下をすくわれた。翌佳は地面に押しつけるように曲げた左腕の反動で起きあがるや、上半身をおぼつかなく泳がせる青年の腰にしがみつくようにして抱きついた。これだけ接近していれば魔法を放てないだろうと、これも本能的判断を下した結果か、聖剣は草原に放り出されている。
「な……ア……を!?」
 意表を突かれすぎて、驚きと狼狽の狭間でセタンタはまともな言葉を発せずにいた。そんな青年に構いもせず、翌佳は回した両腕にぐっと力を込めると、己の上身を逸らす。
「続いて食らえ、必殺バックドロップ〜ッ!」
 危機を身近にした最初の緊張感は何処へ行ったのか、楽しそうな声を上げ、自分の体の動きに強制的にセタンタの体を連れ、持ち上げた。
 ギャーとかワァーとか言うわめき声を上げる青年の頭を強かに地面に打ち付け、放り出す。すぐさま、背に乗られ、足を無理矢理逆方向に引き上げられたセタンタの声は、悲鳴に変わった。
 魔法と剣の戦いから肉弾戦と大きく流れを変えた光景を、それぞれの結界の中で六人と一匹は遠まきにしていた。
「いいのか……いいんだろうな、翌佳にとっては……」
 翌佳の行動心理を理解してやろうと前向きったのは勇世だけで、他の者は唖然と表情を間の抜けた形で固まらせていた。
「くっ、いきなり何をするんダ。こんな野蛮な方法でボクを負かせると思って……イタタタタ、やめろ、アルトス!」
 負けず嫌いらしく、怒気を漲らせた声を上げかけたが、翌佳が力を加えると苦鳴に変わった。バシバシと地面を叩き、声にならない抗議を上げる。
「俺の勝ちだよな?」
 セタンタの背に跨る格好で、にこやかに翌佳は訊ねた。ウキウキと声が弾んでいて、誰が見ても楽しそうである。
 降参の意思を問われ、途端に下敷きにされた青年の顔色が変わった。
「な、何をっ!? ボクが貴様に負けるなんて……イ、イタタタタ……イタイと言って……死んでも貴様に負けたなどと……イ、イタタッ、き、貴様、加減というものを知らないのカ!」
 憤慨のためか苦痛のためか、涙が滲んでしまっている事に自覚はないのだろう。青年は怒りに眉をつり上げて、背後にいる翌佳−−正確にはアルトスだが−−を睨み上げようとした。努力虚しく、相手の袖の辺りを視界の端に収める事が精一杯である。
「くっ、屈辱ダ!」
 ぎりぎりと奥歯をすりあわせる音が聞こえそうな程憤慨を押さえ込んだ声音が、セタンタの食いしばった唇から漏れてきた。
「だ、大体、普通こういう戦いでは剣を交えて勝負するのが常識ではないのカ!?」
 咳き込むようにしてたたみ掛けてくる青年を、翌佳は拘束した足はそのままに、興味なさそうな視線を落とした。
「俺、そんな常識しらないし〜」
 相手にとっては非情とも言える声でもって、実に素っ気ない。
「やっぱ男の勝負なら、力で勝負するものだろ!」
 きっぱりと宣言するアルトス−−翌佳は、すっかり素に戻っていたが、セタンタからその指摘が上がってくるわけでもなく、同意も上がってこなかった。
 乾いた風が、青い草の上を滑っていく。その流れに連れ、穏やかな光りが揺れていた。
「何なのよ、あのバカは」
 眺めていたニムエがぽつりと言った。そう口にする事すら馬鹿馬鹿しそうに、呆気に取られている。
「まあ、普段はねえちゃんにやられる側だから、楽しいんだろうな」
 勇世は、そうした兄の心理はわからないでもいた。
「あんたの姉は、いつもあんな事やってるわけ」
 呆れられ、何かしら返せばいいのだろうが、あいにく巧く返す言葉は見つからない。間を埋めるように肩を竦めた。
「好きなんだよ」
 みどりのプロレスを含めた格闘技好きは筋金入りで、試合を見た昂奮そのままに弟を相手に技をかけてくる事もあれば、教育的指導の一環として行使される事もある。後者はともかく、前者については、要領が良いとは言えない兄をスケープゴートに、勇世は手際よくその場から逃れることができていた。この事について、翌佳に恨み言を言われた事はない。姉の容赦ない攻撃に泣き言は言っても、翌日まで愚痴を持ち越さない。姉への恐怖は根深く染みついていても、精神を鬱屈させ反社会的な心理を育まない事は、翌佳自身の性質によるものだと勇世は思った。もちろん、自分もその点は同じだと思っている。
 非行に走れば、それはそれで恐ろしい事になると、息をするほど容易く想像できてしまう。兄弟揃って、姉への畏怖心と同じく思考回路に組み込まれている事だった。
「理解不能だけど、あの男に通じている事は確かね」
 賛同できる部分をようやく探し出したように、ニムエは疲れたように呟く。
「幸か不幸か」
 応じたところで、何とか今の体勢から脱しようとしているセタンタに、ほんの少しだけ同情をこめた眼差しを向けた。
 翌佳の技が、あまりにも見事に決まっている事は一目瞭然である。セタンタの抗う意思を、削ぐ事にも成功しているようだった。
「良い格好だな、セタンタ」
 突然割り込んできた少女の声は、耳に心地よく澄みながら、嘲りが深かった。同時に相手の状況が楽しくて仕方がない嬉しさに満ちている事も、明らかである。
 降って沸く登場の仕方。こちらの世界では瞬間移動に近しい魔法である事は、言うまでもない。
「!!」
 セタンタは地面にうつぶせになり、背中にのしかかられて動けない体勢のまま仰のき、少女を見た。複数の意味での驚きでもって、目を見開く。
「ああ、ボクの心を奪う愛しい小鳥! 言っておくが、これはアルトスの卑劣な策にはめられ、このような状況に追い込まれたのであって、ボクの実力ではないのだゾ!」
 弁解しようにも、威力が乏しすぎる格好で声を張り上げたところで、笑い声が勢いを断ち切った。少女同様、相手を馬鹿にする事を厭わない嘲笑がセタンタの頬を引きつらせる。
「あいにくだったな。そいつは俺じゃねえよ」
 新たに現れた少年に、セタンタは眉を疑心に寄せる。実はモルガンと共に現れ、その横に立っていたのだが、青年の目には映っていなかったのである。
「!?」
 吐かれた言葉を認識するには間が空いたが、徐々に疑いが深くなり、目が据わっていく。
 見知らぬ少年の発言を、そのまま受け取る気はないらしい青年を見下ろし、少年−−アルトスは目を細めた。
「まあ、お前はぼんくらだからわからなかっただろうが、俺の体に入っているのはごく普通のガキだ。魔法も剣も使った事がない普通の人間相手に、随分と良い勝負じゃないか?」
 小気味よく鼻を鳴らす。侮蔑でもって、口元に笑みを作った。相手の神経を逆撫でる事に神経を集中し、それが見事達成されている事はセタンタの顔色で判明している。
「……まさか、この期に及んでも俺じゃない事もわからない事はないよな」
 腕を組み、片眉を上げて窺う。全て計算上のもので、余裕が笑みを浮かべさせたままだ。相手を不快にさせる事を目的にした、優越に満ちた笑みである。
「……あ、当たり前ダ!」
 はっと我に返ったように瞬き、慌てて取り繕うように言い返すセタンタに、少女は苦り切った顔でかぶりを振った。艶やかな黒髪が背に緩やかに揺れる。その仕草だけなら、しとやかで少女の美しさに見合ったものだ。
「情けない。普通の人間にすら負けるような程度で、あたしと釣り合うはずがないだろう」
 声は辛辣そのもので、セタンタが喉の奥でグウと悔しさを押し潰すのが聞こえた。
「フェイの道理では、男じゃないって事だな」
 空かさずアルトスが口を挟み、今度はセタンタの目が怒りに燃え上がる。背には相変わらず翌佳がいて、三人の会話を傍聴しながら拘束は解いていない。
「出直して、クーリン家の番犬でも倒せるくらいには腕を上げるんだな。それまであたしの前に顔を見せるな。
 ……不快だ」
 最後は痛烈に吐き捨て、セタンタの顔が悲愴に血の気を失い、がっくりと項垂れる。体勢が体勢だけに、地面に額をこすりつける形になった。
「終わり?」
 きょろきょろと首を巡らせて、翌佳は体の本当の持ち主に問う。
「ああ、ごくろーさん。もういいぜ」
 鷹揚に頷いて返すアルトスは、勝利を噛みしめているように見えた。
「へへ、楽しかったよ、にーちゃん」
 軽い所作でセタンタの体を解放した翌佳は、満面の笑みを青年に向けた。元がアルトスの顔だけに、裏のない笑顔を向けられた青年は混迷に眉宇を曇らせ、唇を引き結ぶ。せめぎ合い、巧く感情を均せないまま立ち上がると、少年の格好をしたアルトスを激しい眼光でもって見据えた。
「くっ、こんな屈辱を受けたのは初めてダ! アルトス、次会う時はボクの強さを思い知らせてくれるからナ。覚悟してるがいいゾ!」
 気合いを入れるように、鞭状になったゲイボルグを一振りし地を打つ。
「後悔を先にしておくのだナ!」
 怒鳴るように宣言をすると、セタンタの姿はかき消えた。ぱあっと、心なしか周りの空気が晴れ、強ばっていたものが確かにほどける感触を肌で感じる事ができる。結界の消滅だった。
「捨て台詞としてはどうだろうな」
「減点ものだろう。くだらん」
 モルガンは黒髪を指で梳き、ため息混じりに肩を竦める。そうして不敵な笑みを浮かべる姉弟は、どう見ても悪役だった。
「よし、じゃあ、帰るか、アスカ、ユーセー」
 自分の思い通りに事が運んだせいで、アルトスは満悦の顔だった。勇世は、結果オーライで家に帰れる事に安堵し、遊び足らなさそうな顔ながら不満は出さなかった翌佳は、己の体を見下ろし、あっと声を上げる。
「あ、俺、体戻らないと……」
 やばいよね、と自分の体を持つアルトスを見返す。身長差のために、見下ろさないと顔を合わす事は不可能だった。
「まあ、そんくらい俺がしてやる。フェイ、お前の望みは叶えてやったんだ。邪魔するなよ」
 念押しをしてくる少年に、モルガンは真摯に瞼を閉じ、しばし沈黙で応えた。
「アルトス」
 抑えた声調で名を呼ばれ、アルトスは顔をしかめる。少女が言わんとする事を先回りして、警戒に満ちていた。
「何だよ、言っておくが俺は戻らないぞ。先に言ったとおりだ」
「わかっている」
 いつもと調子を変えて、相手の調子を狂わせる事が意図なのか。モルガンは向けられた疑心にわずかとも揺らがず、こっくりと肯いて見せた。
 沈黙。
「何が」
 アルトスの眉が寄った。
「あたしも、とりあえず、鬱陶しいのはしばらく気に懸けなくても良くなった。喜ばしい事だ」
 うんうん、と頷く少女に、アルトスはますます訝りを深める。
「……話が繋がってない」
 呆れた指摘は、発言者以外が共通に抱いたものらしく、すましたように姿勢を崩さないモルガンに視線が集中した。全く興味がなさそうなのは、表情を動かさないランスロットだけだった。
「十分繋がっている」
 自信たっぷりに言い返し、端で聞いている翌佳も勇世も同時に首を傾げる。さすが双子か、無意識の動作は、ぴたりと合っていた。
「何処を、どう繋いでるんだ」
 頭痛を引き起こしそうな苛立ちを眉間に刻んで、アルトスはこれ以上耐える気は無さそうに、声には気力を込めていない。
「お前は目を離すと、次は何を企むかわからんからな」
 継いでいく会話は、どれも直結している流れとは思えなかった。モルガンの中では幾つもの考えを経て引き出されたものなのだろう。
 少女の言い分に、アルトスは不服そうに口元を歪めた。自分の事を棚に上げて言うな、と顔に書いてある。口には出さない。 
「お前が向こうにいるというなら、あたしも行く」
 再び、沈黙。
「……は?」
 ご丁寧に耳に手を当て、聞こえている言葉を聞き返す仕草を取る。
「あたしが決めた事だ。お前の了承はいらん」
 腕組みをして、尊大に顎をそらす。
 強引さと、頑固さで言い放つ少女に、慌てて口を挟んで勢いを止めようとしたのは、アルトスではなく、勇世だった。
「ま、待てよ!! 俺たちには聞かないのかよ!」
 これ以上面倒な事が増えては困ると、現実主義な思考が先走って口を挟んでしまっただけである。
「いいだろう。そうだろう」
「……いいわけないだろう! アルトス陛下は、翌佳の中にいるからばれないのであって、あんたはどうする気だ! 冗談じゃない!」
 一人納得するモルガンに、ある意味怖い者知らずな少年は、語気を荒げて言い返した。
「姿はどうとでも変えられる」
 勇世の覇気なぞ、そよ風にも感じていないようで、しれっとしている。
「動物飼うのは、ねえちゃんがうるさいもんなー」
 翌佳は、翌佳なりに弟の意見をバックアップする気なのか、深刻さはまるでないのんびりした口調で口添えする。
「あたしはやるといったら、やる」
 聞く耳を全く持っていない事は確かで、とりあえず、当人には全く効いていなかった。
 勇世は呆気に取られ、今まで何度も感じた感覚に眩暈さえ感じながら、周りを見渡す。だが、誰もが傍観者然として−−我関せずと佇んで、少年の悲嘆に同意してくれる者はいなかった。
 翌佳の姿を持つアルトスは、手で何かを払う仕草をして、ため息を吐いた。
「ったく、面倒な事は起こすなよ」
 アンタが言うな、と勇世は思わず突っ込みそうになった衝動を、喉の奥に力を入れて堪える。
「おっと、そうだ。おい、ケイ」
 手招きするように、距離を置いて傍観している騎士に一人に、ちょいちょいと手招きをした。実際招き寄せているのではなく、注意を引いているのだろう。
「何だ。面倒事を何か押しつけるつもりだな」
 予防線を張ってくる男に、アルトスは肩を竦め、他意無い事を示す。そして、にこりと笑った。
「考えてみろ、俺の頼み事を嫌がる道理があるか?」
「あるに決まっている」
 間を置かず突き返しておいて、ケイは厳めしい顔をさらにしかめ、胡乱に満ちた目をアルトスに向ける。
「どうせ、お前の体を運んでおけとか言うんだろう」
「よくわかったな」
 感心したように受けられ、ケイは憮然と口を引き結んだ。わかりきっていても、溜飲できる事ではないらしい。
「その必要はない」
 モルガンが割り入ってきて、アルトスは怪訝に見返った。
「あ? 何だよ」
 何を言い出すのかと、言い出す前から厭そうになっている。少女自身は、相手の顔には頓着した様子はない。むしろ、映っていないようだった。 
「お前の体はティル・ナ・ノグに送っておく。あそこにあれば、誰も手を出せないからな。 セタンタが何か企もうと、マクリールの膝元で悪事をはたらく勇気はないだろう」
 根を質せば、自分本位なのは変わらないにしろ、聞いているだけなら、理が通ったせりふに、アルトスは軽く目を瞠る。
「ふん、確かに」
 意外で、悪くない発言だったらしく、楽しそうな笑みが頬に浮いた。
「陛下……また、行かれてしまうのですか」
 ぽつりと零すような控えめな声で問われ、アルトスは声の主を見た。ガラハットが線の細い面を悲痛に曇らせ、答えを待っている。この姿だけであれば、屈強の騎士には、とうてい見えない。そんな青年に、アルトスは表情を鎮めた。
「ガラハット、言っただろう。俺は……王としてのアルトスはもう死んでるんだ。主がいなければ動けない、そんな愚鈍な人間ではないだろう。お前は……お前も、ランスロットも、ガウェインも……俺を待つのはやめろ」
 言いつける口調としては、傲慢さはなく、諭すような柔らかい口調だった。
「それは、陛下のご命令なのですか」
 発言者は、今の今まで一言も発さなかったランスロットだった。静かな目で、静かな声で、鎮まった表情のまま、まっすぐに少年に対する。
 アルトスは皮肉げに口の端を歪め、笑みはこそげ落とした。
「そうだな。俺の最後の、命令だ。円卓の騎士は解散だ。この世界は広い、力を必要とする場もあるだろうし、人もいるだろう。それを探せばいい。自分には無限の可能性があると、試してみろ」
 辛辣なまでに真摯に澄ました表情になってしまうと、セタンタに対し揶揄を向けやり込めていた人物と異を成して、人の意識を静め、均す力を放つ。
 翌佳も、勇世も思わず聞き入ってしまう−−アルトスが持つ、カリスマだった。
「待て、アルトス!! わしはどうするんだ!!」
 雰囲気を一瞬にして破壊した憤慨の声に、他の人間は視線を向けた。ガウェインの肩でぴょこんとはねるカエルに、アルトスは片眉を軽く上げてみせる。徐々に浮かぶ笑みは、心から楽しそうだ。
「ミルディンには、しばらくカエルの生活を楽しませてやるよ」
「十分堪能したわい!! 戻さないか!」
 相手を脅すにはあまりにカエルは無力で、その虚しさを自覚しているだけに自棄も入っている。最後の手段として、勢いで押せば百万分の一でも、願いが通るとでも言うように。
「やだね」
 真顔で、痛烈に断ち切る。
 現実は、シビアだった。しかしながら、誰も、アルトスの冷酷な態度を咎めるような顔つきすらしない。むしろ、どの顔も納得していた。
「よし、アスカ、引き抜くから根性入れておけよ!」
 カエルの件は既に過去の事だと言うように、アルトスは自分の元の体へ向き直ると、手を翳す。
「引き抜……えっ?」
 翌佳が窺う間はなかった。空気を弾くように光りが重く瞬き、まばゆい白さが視界を眩ませる。がくり、と膝を着き、そのまま地に伏せそうになるのを、ガラハットが慌てて支える。
「ちんたらやってたら、邪魔しようとするヤツがいるからな」
 モルガンを横目にし、わかりやすすぎる言動だった。じろり、と睨まれたが、アルトスは目を合わせないふりをした。
 −−ア、アルトス、なんでオレが中にいるんだろ?? 普通だったら、オレが外に出て、アルトスが中じゃないの?
 理不尽さを感じ、抗議の声を上げる少年に、アルトスは強かな笑みを浮かべた。
「あいにく、普通じゃないんだよ、俺は」
 翌佳の顔で、自信に満ちて言い放つ。非常識を常識にすり替えて、相手に納得させる事ができそうな、揺るが無さ。
「よし、じゃあ、帰るか」
 帰る、と言う言葉を待ち焦がれたのは、間違いなく勇世だった。アルトスの促しにぱっと顔を上げ、反応をしてしまう。
「陛下、どうか、ご壮健で」
 ガラハットが深々と頭を下げた。できるだけ顔を見せないようにして、胸に迫るものを出すまいとしているようだった。アルトスと顔を合わせれば、恨み言の一つ言いたくなってしまうのだろう。
「心配なぞいるか、あたしがいるんだからな」
 モルガンは、ふんと鼻を鳴らす。
「……それが一番不安因子なんだよ」
 空かさない、嘯きが横で落ちて、少女の眉がぴくりと動いた。美貌に似合わない酷薄な笑みを湛えて、アルトスを鋭い視線で刺す。
「何か言ったか」
「幻聴だろ」
 動揺を誘われることなく、平然と答える。
「アルトス、後であたしが行くまで、よからぬ事を考えるなよ」
 アルトスの体を届ける事は他の者に任せる気は無いらしい。釘を刺してくるモルガンに、「どうだろうな」と気のない返事をした。
「気の向くまま風の吹くままと言うやつだ」
 −−後先考えないって事だよな。
 翌佳の指摘は思考を深くは挟んでいないが、的を得ている。アルトスは唇を歪ませて、不服そうな顔になった。
「アスカ、そいつは、私見の相違だ」
 黙って流す事はできないらしく、しっかり言い返してから、青年騎士たちを視線で一巡する。少しだけ懐かしさに目を細めて、にやりと笑った。
「じゃあな。
 別に、これが最後じゃない。いつか、とんでもなく先の話だろうが、また会えるかもな」
 −−オレ、また遊びに来たいなあ〜。今度はちゃんと観光でさ!
 暢気な声が内で上がり、苦笑に変わる。
「ちゃんと、観光ねえ。まあ、気が向いたら、な」
 見渡して映るのは、緑の草原。中にいる翌佳には、自然に満ちた、風の優しい世界が果てなく広がっているように見えるのだろう。
「お待たせだな、ユーセー。嬉しいだろ?」
「当たり前だ」
 アルトスの揶揄にムッとしながら、“現実に帰る”事が押さえきれず、険しさはない。モルガンが一緒だという気鬱は、今だけは押さえられているようだった。
 −−早く帰らなきゃ、向こうはどんだけ時間経ってんのかな。ねえちゃん、まだ帰ってきてないよなあ。
 セタンタの時以上に、不安を帯びた声が響く。
「ま、一日は過ぎてないだろうよ」
 アルトスは騎士たちに別れを告げるように手を閃かせたかと思うと、カレドヴールフが握られていた。
 最後の最後は言葉もなく、後ろ髪引かれることなく、改めて顧みる事はなく、アルトスと勇世の体はその場から消えた。
 あっさりと、去ってしまう。
 継ぐように、アルトスの体をガラハットから受け取ったモルガンも消えた。別離の言葉を渡すような間柄ではないと言う認識は、お互い様だった。
「行ってしまわれましたね」
 風が撫でる草の波を眺め、ガラハットは呟いた。
「らしいでしょう。あの方は、本当に勝手な方です」
 ガウェインは肩を竦め、かぶりを振る。
「私も、貴殿と同感だ」
 憮然とした顔で、ケイは首肯した。
「わしは納得いかん……」
 ミルディンは、己の手を見下ろし、やるせないようにため息を吐く。
「私も帰るわよ。約束があるのよね」
 ブツブツと呪文を唱えると、ニムエの姿はかき消えた。“帰る”のは、翌佳たちの世界だ。すっかり馴染んでいる事に自覚はないようだった。
「まあ、何かあれば、私たちが行けば良いんですよ」
 不意に思いついた名案に、ガラハットはにこりと笑って一同を見渡した。
「確かに」
「ふむ、まったく」 


第三部「最強の君と無敵の剣」

「Zero bit player」 
endless repeat...?

*POSTSCRIPT*

 「Zero bit player」は、毎日更新用長編として作った作品です。こう言うと格好が付きますが、実体は……登場人物と大まかな(大雑把な)イベント以外は行き当たりばったり、唯一の目標は「一部は四十話で終わらせる、何が何でも話を終わらせる」という、モノカキの風下にも置けない最悪な創作態度でお送りしました。起の部分で半分以上を費やし、焦って慌ただしく承と転に駆け込んで、結は一話。……という他に類を見ない構成になってるんですよ!
 ああああ、お客さん、呆れてページを閉じないでっ!(汗)
 色々と突っ込みどころのある話ですが、この話は、ノリと勢いだけですので。「ん?」と思っても話の流れのままにスルーしてください。世の中、敢えて気づかない方が丸く収まることもあるのです。  お気づきの方はおられると思いますが、「向こう側の世界」の人物は「アーサー王物語」をモチーフにしています。微妙に名前が違うのは、すぐに気づいては面白くないだろう、と言う浅はかで姑息な書き手の意図です(苦笑)。
では、原作?と名前の表記が違うキャラの人物紹介を。

■ アルトス
アーサー王。アーサーはラテン語でアルトリウス。その語源であるとされる古ケルト語では「アルトス(Artos)」。意味は熊(笑)。
 強くて根性悪くて、自分は善人じゃない&普通じゃないと言い切る、傍若無人な青年タイプ。容姿とカリスマで全てを誤魔化す事ができる上、少しも悪びれない分タチが悪い元王様。非常に書きやすかった。自分の道理が世界の理、人の話を全くと言っていいほど聞かない「向こうの世界の人間」のわりには、翌佳や勇世を気にかけていたのは、こちら側に毒され(笑)ていたのかも。

■ミルディン
マーリン。ウェールズ語で「ミルディン」。アーサーに並び有名な魔法使い。
何故カエルにしてしまったのか。その時の心理がわからない(笑)。メルヘン→カエルという連想をしたとすれば、私の頭はやはり回路がおかしいらしい。
ジジイ喋りのカエルは、好評でした。

■カレドヴールフ(剣ですが)
カリバーン、キャリバーン等のウェールズ語。
原作を知ってる方はおわかりと思いますが、一度剣が折れて、鍛え直したと言う意味で、exが最初に付記されたものが、かの有名な「エクスカリバー」です。だから、アルトスの持つ剣は一度も折れてないって事です(笑)。

■ニムエ(ニミュエ)
ヴィヴィアン。ケルト系では色んな呼び方があります。だから、「ニミュエ」(私はよくニュミエと打ち間違える/汗)もニムエも同じです。その中でニニアンという名前の表記違いがヴィヴィアン(フランス系)になったとか。かの、マーリンを惑わして封じた魔女<原作では。
第一部で、「ニムエ・ダムドラック」と一回だけフルネーム(もちろん偽名)が出てきましたが、ダムドラックは、ダム・ド・ラック。湖の貴婦人と言う意味。
最初の護岸不遜な美少女は何処へやら、勇世と同類の苦労人カテゴリーに晴れて仲間入り!(…) 非常識ながら、非常識な人間が周りにいすぎるとまともに見えてくる不思議。ニムエもこの世界に毒されたんでしょう(あの短期間で!)

■グウェンフウィヴァル
グィネヴィア。古ウェールズ語で「グウェンフウィヴァル」。舌噛みそう(汗)。
原作ではアーサー王の后で、後にランスロットとの悲恋を繰り広げる女性(てか、ただの不倫やん)
どういうタイプにしようか悩み、こんな感じに。とりあえず、自意識過剰。アルトス、趣味悪い。その時の気の迷い(好奇心?)で結婚したとしか思えない(作中でも言ってたけど)。

■メドラウド
モードレット。原作ではアーサーの甥であり、実際は不義の子(夫婦揃って不倫かよ)。
後に、アーサーがランスロットとの戦いに赴いた留守に謀反を起こす。最後は相打ち同然(モードレットは死亡、アーサーは瀕死)。
ここまでバカになってしまうと、フォローできない。アルトスも厭になるでしょう。自分の遺伝子が入っているとは思いたくないはず。母親はどんな人だったの……もしかして、アルトスは女を見る目がないの? と思わないでもない(笑)。

■セタンタ
クー・フーリンの幼名。クーリン邸の番犬を倒した事で、「クー・フーリン」と呼ばれるようになったらしい。そんなすごい番犬なのか、へー(おい)。ケルト神話では英雄。魔槍ゲイ・ボルグの所持者。最後は自分の武器で命を落とします。
いっちゃんと同じ喋りで、バカ三号(一号は翌佳、二号はメドラウド)。なんだか、非常に情けないキャラに。モルガンによほど惚れてるんでしょうな。アルトスとは一応昔なじみで最初からライバル(あくまでもセタンタがそう思っているだけ)。

こんなもんでしょうか。
それでは、勢いだけで突っ走ってぶつかって終わった気がする「Zero bit player」を読んでくださった方へ、感謝申し上げます。
ついでに、ゼロよりは真面目に書いている他の拙作にも興味を示してもらえると嬉しいです。<ちゃっかり。
それでは、本当にお付き合いありがとうございました。

                                                 田島光記 拝 20030513

[BACK] [TOP↑]

Copyright Reserved by Kohki